「賢い女になりなさい」
この言葉をもらってもう10年は経つ。わたしは今でもそう言った祖母の声を鮮明に思い出すことができる。

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高校1年生の春休みに父と母は離婚した。予感はずっとあったからさほど驚くこともなかった。離婚が決まってから家族4人で田舎にある父の実家に行った。たぶん最後の家族旅行だった。
父方の祖父母は孫たちを可愛がってくれたが距離を適度に取る人たちだった。離れて暮らすわたしたちに電話をかけてくることはなかったし、里帰りも1泊2日で帰ることがほとんどだった。都会への憧れが強い父があまり実家を好きではなかったことも要因だったかもしれない。

成長してから見る祖父母の家は吹けば飛ぶようなトタン屋根の小さな木造家屋だった。それでもわたしはこの家のことが好ましいと思った。
出迎えてくれたのは確か祖母だった。このころ祖父は体調が芳しくなくベッドの上で寝ていることが多かった。祖母は小柄でふくよかで、いつも笑顔を絶やさない明るい人だった。そして他人に甘すぎるほど優しい人だった。

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大人たちの間で離婚が決まった話がされた。話していた間のことはよく覚えていない。もしかすると別室にいたかもしれない。
話がまとまったあとで祖母と2人で話した。わたしのつたない話をいつも遮らずに最後まで聞いてくれる祖母のことは小さい頃から大好きだった。
父と母は円満離婚ではなかった。祖母には孫としばらく会えなくなるだろうという予感があったのだと思う。
「賢い女になりなさい」
祖母はわたしに言った。いつも笑顔を絶やさない優しい祖母は真面目な表情をしていた。
声にはいつものような張りはなく沈んで聞こえた。わかったとわたしは言った。
わたしは昔から祖母によく似ていると言われた。見た目もそうだし本をよく読むところ、他人に甘いところも似ていた。
祖母なりに心配もあったのかもしれない。祖母のまわりの男たちは頼りない人が多かった。そして祖母はそんな男たちを優しく甘やかしてしまうような人だった。
父と母はその後、宣言通りに離婚した。父はずっと厭うていた田舎へと帰った。父のいない暮らしにわたし達は思いのほか早く慣れた。
祖父の葬儀で会って以来、8年近く父と祖母には会っていない。

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わたしは頭も要領もさほどよくないと自覚している。祖母の言う「賢い女」にはなれそうにもないと思った。それでも人生で壁にあたったときには必ずあのときの祖母の声が蘇るのだ。
賢い女になんてなれないよと思う。でもこんなところでくたばれないと思うわたしもいる。
この先の人生もきっと要所要所で祖母の言葉を思い出すことがあるのだろうと思う。そしてそのたびになかなか賢くはなれない自分を少しだけ呪うのだと思う。
それでも、わたしのことを思いやって出てきた祖母の優しく厳しい言葉はわたしのことを何度も鼓舞して励ましてくれるのだろう。
仕事に、人間関係に、恋愛に、将来に迷うわたしの耳元では今日も「賢い女になりなさい」という声が聞こえる。