一度はかがみすとを卒業したくせに、思いもよらぬ提案から、また戻ってきました。
もうちょっと戦ってみたら?声を上げてみたらどうだ、という意見に従い、もう少しだけ書いてみようと思います。

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最近、断捨離をしている。そういうことがあって、ミニマリストのブログや書き物を読んでみた。確かに素敵だけど、なんか私の目指すものとは違うようだ。 私の生活は、何というかもっと地味だ。
きらびやかな生活より、家で食べるものを収穫したり、頂き物の野菜で常備菜を作ったり、喜んでくれる人には、作ったものをお裾分けしたりする方が、よほど楽しい。
SNSも動画もあまり見ないから、時間はある。いつも使っている消耗品以外はほとんど買わないので、お金も貯まる。

私が主流でないことはわかっている。皆はもっと華やかな暮らしをしていることも知っている。だから、友人たちとは違っても、それはそれでいいじゃないと思っていたが、友人だと思っていた人たちからは、何かとトゲトゲしい言葉が飛び出すようになり、彼女らとは友達付き合いをやめた。
こうすると、同年代の人とほとんど話が合わない。自分が間違っているような気もした。
そんな私を見た彼氏からは「今の状態じゃ、先のことは考えられない」と言われてしまった。
彼は私に、このままの自分に自信を持って欲しいのだ。でも、さすがにこれはへこんだ。自信なんて持てなかった。

そんな時、今年7月30日の朝日新聞朝刊の「折々のことば」に、
「キツい時の対応は かしこまるか諦めるかのどちらかですが ここはひとつ、中を取って へうげてみやしょう」
と書いてあった。さらに「畏れ、縮こまるでも断念するでもなく、身も軽やかに風を変え、重さ較べから降りてかつそれを、愉しむこと。関係を変えると風景も変わる」とあった。

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彼女らの比較から降りることを決めた。
入れ物が欲しくなったら、空き箱の山から探して、カゴがよければ、亡くなった祖母が使っていたものをもらう。布でできた物でよければ、端切れの山から好きな布を引っ張り出してきて作る。物が壊れたら、できる限り直す。
箱も布地も裁縫小物もあふれていて、とてもミニマムとは言えないが、これが代々続く我が家の暮らしだから、これでいい。祖母も母も完璧とは言えないし、全然映えないけれど、私もこれを守って生きて行こう。
物をたくさん買って、消費して、その分たくさん働いて、という生活は、私は苦手だけど、他の人がするのを眺める分には、別にいいんじゃないかと思う。皆それぞれ好きにすればいい。それなのに、周りは私を自分の側に引き入れないことには納得できないらしい。

昭和の頃には当たり前だった生活は、すっかり時代に合わない暮らしになった。でも、私はこの生活を通したい。
上の代の人たちが言うほど、私たちがへうげるのは楽じゃない。彼女らは、全てにおいて勝たなければ、気が済まないらしい。しかしそういう感覚が、私には身に覚えがないかと言われたら、そうでもなかった。
「それを買うくらいだったら、これを使ったら」と言ってくれた母に対し、「そんな貧乏くさいことはしたくない」と呆れたことがあった。言わなかったけど、内心バカにしていたことは、見えていたかもしれない。
彼女らがそう思うのも当たり前だ。そしてそんな貧相なものに囲まれている人より、自分たちの方が優れているに決まっているという根拠のない横暴さも、かつての私の中にもあった。生まれた時からこんな生活をしていた私でさえ、否定され続けて、こんな考えをしてしまっていた。

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だから母の持っている、伝統工芸で作られた年代物のアクセサリーケースが、羨ましくてならなくて、その憧れが、憎さに転じてもおかしくないと思った。

何十年と使われてきたであろうそれは、年季が味になっていて、とてもよかった。どんなに調べても、お金を出そうと思っても、ネットではそれよりいいものを見つけられなかった。
中古も探そうと思ったが、やめた。そんなにいいものは、代々使って皆手放さないし、私は母の物だから欲しかった。その気持ちが落ち着いたのは、母の言うことを聞くようになってからだろうか。

母からは、小物を雑多にまとめるなら、100均でケースを買うより、祖母のところから籐のカゴをもらってきた方がいいと言われ、嫌だと思ったが、勝手に母がそれを持ってきて、散らかった小物をまとめて入れてしまった。それを見たら、意外とかわいくて気に入ってしまった。持ち手付きのものは、外にも持ち歩きたいくらいだ。
年季の入った曲げわっぱのお弁当箱は、最初は渋すぎないかと思ったが、ご飯が冷めても硬くならず、目上の人からも「いいものを持っているね」と褒められた。
「急須が壊れたから、祖母のところの、蓋が壊れて小皿で代用しているものを持ってくる」と母から言われた時は、そのくらい買ったら?と思ったが、色味の似ている小皿との組み合わせは、意外としっくりきていて、使いやすくて、味があっていいものだった。

昔ながらの考え方に戻ったら、いろいろスッキリして、変なもやもやは消えた。あの人たちとは違う線上に生きていると思ってからは、とげとげしい言葉も聞き流せた。気にしていたことが、バカみたいに小さくなった。
きっと彼女らは、受け継いだものがない。親なり祖父母なり先生なり先輩なりから、受け継いだものがないのだ。
仕事のことなどは、しっかり学んでいるかもしれない。勉強もできていたりする。でも、人としての基礎は?礼儀は?生き方については?学ぶより、巷に溢れる「これがいい」を、信じた方が早い。
それを追わなければ、置いて行かれる気さえする。現に私は、すっかり時代に取り残されてしまった。他の女性たちとは、同年代ではとても話が合わないことばかりで、合う部分で合わせるだけになった。そんな会話もまた楽しかったりするけど、友達にはなれない。
言葉通りにものを受け取り、へこんだものだけど、もう少し、言葉の裏を見るべきだった。母たちから受け継いだものたちは、誰の前にも出していいものじゃなかった。祖母が編んだ籐のカゴも、手作りのエプロンもダメなのは、値段の問題ではなかったからだ。

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誰がこんな世の中にしたんだろう。誰が煽っているんだろう。どうしてこんな世界にするんだろう。こんなのは、日本人の自然ではないはずなのに。
昭和の時代には山ほどいたであろうこんな人間が、かがみすと世代では、もう絶滅危惧種かもしれない。同年代のお仲間は、本やテレビの中でしか見たことがなく、もはや架空の存在だ。
何でこんなに少ないの?初めて、私は変わらないで、社会を変えてやろうと思った。まずは自分の身を立てないことにはしょうがない。気持ちを強く持つことから始めよう。

そんなことを考えながら、かき混ぜていた餡子が炊き上がった。これであんみつを作ろうか。母はトーストに塗るのを楽しみにしている。どちらも賄って余るくらいの量はできた。
餡子なんて、買ってこればいいだけだけど、私はこれを作るのが楽しい。
おかしいだろうか?笑ってくれても構わない。私はただ「変でしょ?自分でも思うわ!」と、へうげてみせる。
味は餡子屋さんの餡子の方が、絶対おいしい。プロには敵わない。あんみつも、私が作るのはいたってシンプルだ。そのことを前面に押し出しつつ、まぁこれ以上は、ここで語るのも控えておこう。

こちら側の生活は、控えめに言って最高だということをお伝えするに留めて、そろそろ寒天を作らなければ、次のおやつタイムに間に合いそうにない。