小さい頃から、料理が好きでした。よく、近くに住む祖母の所に遊びに行って、一緒に作りながら教えてもらっていました。周りの友達は、私の作ったものや、祖母がたまに持ってきてくれる手作りのお菓子を喜んでくれました。私に対する周りのイメージは、「料理やお菓子作りが好きな子」だったと思います。
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ある日授業で、好きなお菓子を持ってくるようにと言われ、自分の作った和菓子を持って行ったら、先生ににらまれました。日本茶についての授業だったので、お茶に合うようにと、母と相談して和菓子を作ったのですが、それが気に食わなかったようです。
手芸も身近だったので、授業で皆にミシンの使い方を教えて回ったこともありました。余裕のある人は教えるようにと言われて、そうしたのだと思いますが、これもいい顔をされませんでした。
母の作ったキーホルダーがにらまれ、それを取り上げた先生が、そのまま教室を飛び出してしまったこともありました。周りの人も困っていたのですが、他の先生が授業をしてくれたこと、その後女性の先生と話した時、先生が泣いていたことしか覚えていません。私なんかより、先生の方がよほどつらそうでした。
この先生とは、その後話し合いました。多分私のことだから「こんなもん別に手作りだからいいということもない」というようなことを言ったと思うのですが、納得してくれたようで、学年が上がった時には、問題を一人で抱えて困っていた私を、担任でもないのに気にかけ助けてくれた先生でもあります。
母の手作りの物を持ち歩くことが多かった私は、それを周りの子に褒めてもらうことも多くありました。私は本当は、皆がもっているような物が羨ましかったのですが、褒められるし、頑張って節約してくれている母に申し訳ないので、そうは言えませんでした。
でも、周りのお母さんたちの中には、微妙な反応をする人もいました。家で言われているからか、私自身や私の持つ物について、アラを探して突く人もいました。母の手作りですから、完璧に出来ていないのは当然です。そういう理由抜きでも、私は買った物が欲しかったのに、皆手作りの方がいいと思い込んでいます。それはおかしいと、ずっと思っていました。
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女性の先生たちは、ヒステリックに、私にきつく当たりました。だから、ちょっと初対面の女性が苦手なところがあるのでしょうか。しかし、そんな女性ばかりでもありませんでした。
クラス担任でも、教科担当でもなかったはずなのに、何故か調理実習を受け持ってくれた先生は、一通り作り方は説明するものの「いろんな作り方があっていい」と言ってくれましたし、手芸クラブの先生も、皆と同じように私にも声をかけてくれました。クラブを見に来た他の先生が、皆が小物入れや巾着を作る中、一人で服を作る私に苦言を呈していましたが、それも言いくるめ、「好きにさせればいい」と言ってくれました。
夏休みの課題で手芸があったので、他のよりはマシだと思って選んだら、参加者が少なかったためか、佳作くらいの賞をもらってしまいました。皆の前で表彰されることになり、正直いやでした。なんやかんやあってあまりいい思いはしなかった気がします。それでも家庭科の先生は、私が賞をもらった事をとても褒めてくれました。先生は、教科書通りのことだけではなく、発展した内容の授業もしてくれて、そこで学んだことは今も生かされています。
そういえば、担任の先生から、「家庭科の先生は本当にいい先生で、私のことを気にかけてくれている」と聞きました。家庭科の先生は、卒業式の時もわざわざ私に声をかけ、「いいものを持ってるから、続けてね」と言ってくれました。
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今、私は、仕事はほどほどに、家のことをいろいろしながら、悠々自適に過ごしています。働くのも立派なことですが、それは他の人に任せて、私はゆったり暮らしたいのです。
そういう生活をしている事を、気に食わない人も世の中にはいます。それこそヒステリックに私を批判し、否定してくる人が、同年代でもたくさんいます。いろいろ言われて、気持ちが折れそうにもなりましたが、ちゃんと見ていてくれる人がいることも思い出しました。もう二度と関わりたくはありませんが、今なら、言ってきた彼女らも被害者であると理解できます。
女性にばかり言われたのはやはり、女性だからこうあるべきという、つまらないイメージに彼女ら自身が縛られているからでしょう。ちょっと考えが古すぎて驚きました。
そんなくだらないことに振り回されるのはもうやめて、自分らしく生きませんか。そんなくだらないものを信じているのがまず自分自身だということに気づいて、改めませんか。
自分の良さにも気づかず、ステレオタイプしか評価できない人を、私は正直、バカだと思います。まずは一度立ち止まって、そのままの自分を認めてみませんか。
化石みたいな親父や、型にはまることしかできないおばさんの言うことなんて、右から左に流して、その場だけ取り繕って、心の中で「古くっさ!!!」と言っていればいいものを、出来ないのはきっと、周りの目が気になるからでしょうね。その、どうでもいい他人の目を気にして、一度きりの人生を楽しめないのは、本当にもったいないです。
少し気合を入れて、自分の道に突き進めたらいいのに。そのうちだんだん、反対意見の人も認めてくれるようになることは、経験から知りました。そんなのは放っておけばいいのですが。ステレオタイプに縛られない人で周りを固めるのも、大事なことですが、私たちかがみすと世代には特に、難しいことなのかもしれません。
コトバンクによると、ステレオタイプとは、しばしばゆがめられた粗略な一般化ないしカテゴリー化であり、偏見や誤解・誤認をうむが、同時に、社会的に共有される感情・認知・思考・行動様式を型にはめることで社会の統合と安定にも寄与している、とあります。
今は情報が多すぎて、それが過度になっている気がします。そういうものが便利であることは理解しますが、そういう人間でありたくはないと、強く思います。
私は自分らしく生きるため、昔ながらの生活について学び、極力実践できるようつとめています。自分らしく生きているからこそ、働いて生き生きしている人の生き方も素晴らしいと思えるのです。
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そして、自分の生活に自信が持てたのも、先生たちのおかげ、と、書いたのですが、内容を確認した彼氏から、「俺のおかげもでかいだろ?」と言われ、書かずには済ませてもらえなさそうだったので、彼のおかげでもあることも、一応書き足しておきます。
先生たちが今、どうしているのかはわかりませんが、おかげさまで私は、元気に暮らせています。もしまたどこかで会えたら、そのことを伝えたいと思います。