これが無いと始まらない。特別な日に必ず食べる祖母の餃子

祖父母の家で誕生日などのお祝い事をするときは、いつも決まって餃子だった。
餡はひき肉、ニラ、キャベツ、もやし、ニンニク。野菜は細かく刻んで、大きな鍋で火を通してゴマ油と塩コショウで味付けをする。皮は市販のものではなく一から手作りで、餃子を包む作業は集まった親族総出で行うものだった。

私はたいてい餡を包む役目で、飽きたら時々皮をくり抜く作業をやりたがった。餡を包むときに欲張ると、上手く包むことができずに破けてしまったこともあった。大きくなるごとに器用になって、餃子のひだを作れるようになったものだけれど。

包みあがった餃子は、寿司桶三つ分とかなりの量になる。どんどん餃子が焼き上がってくると、「熱いうちに食べなさい」と祖母が言う。手作りの皮なので、市販のものほど薄さはなく、食感は少しモチモチとしている。私はいつもお醤油とレモンで食べていたが、大人はラー油を入れることも多かった。

私はこの餃子が大好きだった。いつもお腹がはち切れるほどに食べていた。両親が共働きで、幼い頃からよく祖父母の家に預けられていた私は祖母の料理をよく食べていたのだが、一番好きなものは?と聞かれると、この餃子と答えるほどに。

口に入れた瞬間あの頃がよみがえる、祖母直伝のレシピ

一人暮らしをするようになると、餃子を食べる機会も減っていった。地元に帰ってまた一人暮らしの家に戻るときに、餃子を作ったから、と持たせてくれることもあった。何年経っても変わらない味は、やっぱり変わらず私の大好物だった。

ある日突然餃子が食べたくなって、私は祖母に電話をしてレシピを聞いた。祖母は突然どうしたん、と笑って、親切に教えてくれた。結局その日は餃子を作らず、レシピを聞いてから一年ほど経ったときに初めて自分で餃子を作った。餡を包む作業を恋人と行っているとき、あまりの量に「なんでこんなに作ったの?」と恋人が言った。元々のレシピが大人数用なので、いくらか分量を減らしたとはいえ、それでも二人には多すぎる量だった。
焼き上がった餃子は、祖父母の家で食べたものより若干皮が分厚く、モチモチとしていた。けれど味は全く同じで、祖母のことを思い出した。長いこと食べていなかった餃子は、やっぱり私の大好きなものだった。

五月十四日、母から電話があった。祖母が亡くなった知らせだった。私は就活の関係で四月中は地元に帰っていたのだが、その頃には既に体調を崩していたので、コロナのことも考え会うのは控えていた。どうして会わなかったんだろう、顔を出してあげなかったんだろうとひどく後悔した。顔を見たい、と祖母が言っていたことを知っていたのに。すぐに地元に帰って、お葬式に参加した。お正月ぶりに見た祖母は、痩せて、小さくなっていた。

この味を忘れない。祖母に語りかけるように私は餃子を作る

一人暮らしの家に戻って、しばらくはぽっかりと胸に穴が開いたような気持ちだった。大人になるにつれて会う頻度は減っていたが、幼い頃の思い出は祖母と過ごしたものが多かった。色んな場所に旅行に連れていってもらった。デパートで服を買ってもらい、最上階のレストランでオムライスを食べた。中学で不登校になったとき、何も言わず、受け入れてくれた。もっと立派になった姿を見せたかった。相変わらず生きづらい性質のままだけど、それでも何とか、頑張って生きてるよって言いたかった。でも、もう直接祖母に伝えることは叶わない。

私は、餃子を作った。これから先、親族が集まって、みんなで餃子を作る日がまた来るのだろうかと思いながら。出来上がった餃子はやっぱり量が多くて、その日に食べ切ることはできなかった。お醤油とレモンで食べる餃子の味は、私が小さい頃から食べていた味と変わらない。祖母はもうどこにもいない。けれど、ここには確かに、祖母の味が生きている。きっとこれからも私は餃子を作るたびに、祖母のことを思い出すのだろう。