母はお酒が入るとたまに、故郷の話をする。
25年前、結婚をし故郷を離れた母。子育てをスタートし、今年、子育てをひと段落させた母は最近、よくあの街に思いを馳せている。

母が語る故郷は、何とも楽しそうだった

「いつもね、高校までの坂道がきつくて、その坂を登っている途中に先生が門を閉めにくるの、意地悪だよね。先生に怒られるの知ってたけど、遅刻ギリギリの時は抜け道を使ってたなぁ」
「ここにも海はあるけど、あっちの海の方が好きなんだよ。何にもない田舎なのにね。海だけはキレイなんだよ。あと磯の香りも好きだし、近所の人が漁師さんで、釣った魚が美味しいんだよ。この辺じゃなかなか食べれないもんなぁ。ありがたかったねー」
「たこ焼き屋さんまだあるかな。プレハブ小屋みたいなちっちゃいところだったんだけど、たまり場だったなぁ。遊ぶ場所なんてなかったし。携帯もない、ネットもない、ただくだらないことずっとしゃべって笑ってた。何がそんなに面白かったんだろうね」

朝日がきれい。
夏は潮風でベタベタになる。
台風が近づくと高潮が車に襲い掛かってくる。
あそこでしか見れない景色もたくさんあるの。とってもいい所。
私に教えてくれるその表情は生き生きしてて、楽しそうで、想像しかできない私を横目に少しニコニコして、
「さぁ、明日も仕事だ。お風呂入って寝る。やだなぁ、仕事行きたくない」
「だよね。私も行きたくない。でも頑張るしかない。頑張ろ」
なんてお決まりの定型文を言いながら私たちの夜が更けていく。

近いような遠いような、その街までの距離

今住んでいるこの街に、母は本当の意味で馴染めていない。
「あの街に帰りたい」
父に泣きながら話しているのを幼いとき、扉の隙間から聞いた記憶が僅かにある。
もともと社交的なタイプではないうえ、明らかな県民性の違いによってママ友もうまく作ることが出来なかった。

結局は土着の人には勝てないのだ。故郷にはまだ幼馴染たちがいるらしい。その人たちにも会いたいんだとか。
我が家からその街までは約5時間と少し。行けなくはないけど、意気込まなければ行けない。何とも不思議な街。
仕事に、子育てに追われ、バタバタと過ぎていく時間はあっという間だ。

実際に訪れないと、感じられないものがあるはず

バーチャルで旅ができる時代になった。動画サイトを見れば観光案内をしてくれる。マップを開けば、そこを歩いている気分も味わえる。そんな時代になったのに母は記憶の中にあるあの街に帰りたがるんだ。そこに何があるのだろう。
そこに流れる時間と、匂いと、人と、風と……。
そこに立った者にしか分からないなにかがあるはずだ。

今年、母は人生100年時代の折り返し地点に立つ。人生にとって忘れることのできない街で、帰りたくなる街。
そんなにいい場所なら、もうそろそろ私も想像じゃなくて、実際に行ってみたい。
聞いている話だけでワクワクするし、母が過ごした青春はまだそこに残っているのだろうか。
私にとっても忘れられない街になるはずだ。

あの街に帰ろう、と言ったら母はどんな表情になるだろう。
私の青春はこの街にある。
だから今度は母の青春をのぞきたくなった。
そしていつか私も、今住んでいるこの街に帰りたくなる日が来るのだろうか。