私が生まれ育った街は、かつて青空を失った。
 私は青空を守り続けるために、働きたい。

 半世紀以上前のことだが、私の故郷では工場からの煙が空を覆った。灰色の空の下、異臭が漂い、海は濁って魚が死に、人々は咳が止まらなくなって死に至った。病を患った人々への差別、原因となった企業や誘致者への憎しみも生まれた。

経済的な利益を追求して環境への負担を考慮せず生きてきた

 私は1990年代生まれなので、もちろんその時のことを体験していない。私が知っている街は、青空を取り戻していた。でも、公害の記憶は人々の間で確かに受け継がれている。青空を二度と、絶対に、決して、失ってはいけないのだ。環境を破壊すれば、代償が必ず返ってくる。その痛みは大きいということを、私たちは学んできた。

 ところで今、気候変動が着実に進行している。2019年末から2020年にかけてオーストラリアで発生した大規模な森林火災は、私にとって衝撃的だった。コアラやカンガルーなど親しみのある動物たちの生息地が炎に包まれている映像は、見るに耐えなかった。私たち人間が犯してきた、そしてこれからも犯そうとしている過ちの結果が現れていた。
 私にとってこの災害が衝撃的だったのは、歴史の授業で学んだ故郷の過去と、無意識のうちに重ねていたからかもしれない。
 経済的な利益を追求して環境への負担を考慮せず生きてきたツケが形として現れたのだ。

これまで通りに生きていてはいけない。何かを変えなければ

 これまで通りに生きていてはいけない。何かを変えなければならない。私は切実にそう思った。そして、環境負荷の高い肉食を控え、できる限り菜食にした。食器用洗剤や洗濯用洗剤、シャンプー、スポンジなどあらゆるものを環境に優しい商品に取り替えた。家の電気を100%自然エネルギーに変えた。物を大切にし、必要のない買い物をしなくなった。
 私一人が行動を変えたって、なんの意味もない。それが分かっていても、自分の暮らしが少し好きになった。自分の選択に胸を張ることができた。
 でも、環境に優しい暮らしはお金や手間がかかって難しいという人も多いと思う。実際、ちょっとお金がかかるし、手間もやっぱり感じる。

地元で働き、暮らしている友人をみると、羨ましく感じる

 だから私は、環境に優しい選択を取りやすくしたいと思っている。自分の暮らしを肯定するという体験をみんなのものにするために。そして環境の破壊と、人々の対立を食い止めるために。
 私はもうすぐ社会人。そういう仕事ができそうな会社を選んだ。進学で故郷を離れ、就職先としても東京を選んだ私は、もうあの場所に住むことはないのかもしれない。地元で働き、暮らしている友人をみると、羨ましく感じる。湾から登る朝日、どこまでも続くような青空、山脈に沈む夕日、グラデーションの美しい山の端、鮎が住んでいる川。あの街が好きだけど、私はきっともう戻らない。戻らなくても、忘れない。あの街で学んだことを、忘れない。
 
 青空を、海を、川を、森を、山を、街を、人を、守るために私は働く。