祖母が亡くなる直前のことだった。
「あ、子供できたな」
普段、オカルトもスピリチュアルなことも何一つ信じていないけれど、この時ばかりはなぜだか絶対的に直感していた。
地元から離れた引越し先の街。海が見えるマンションのベランダで、私はぼんやりとこれからのことを考えていた。ツンと海のにおいがした。

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私は祖母のことが大好きだった。幼い頃から忙しい母の代わりにお菓子を作ってくれたり、絵本で見たコロッケを一緒に作ってくれた。
わがままを言う私に困ったような笑ったような顔で「しゃあないな」と受け入れてくれた祖母。「内緒やで」と笑いながら飴をくれる祖母。歳を取ってからボケてしまったけれど、私を見ると必ず笑ってくれる祖母。
私はそんな大好きな祖母を置いて結婚してしまった。
夫は中学の同級生だ。三年間、ずっと同じクラスで毎日ゲームや漫画の話ばかりしていた。社会人になって再会してもそれは変わらなかった。私たちはあの頃の懐かしい関係のまま、結婚しようかと言う話になった。

思い返せば、結婚のきっかけは祖母だった。
ボケた祖母はいつからか入院し、「もう長くない」と医者から言われていた。母から祖母に花嫁姿を見せて欲しいと言われて、予定より少し早く結婚することになった。祖母は私の花嫁姿を不思議そうに見ていた。
結婚後まもなくして、夫の職場の関係で私たちは長く住んでいた地元を離れた。必要なものがすぐ手に入った地元と違い、大きなショッピングモールが近くにあるわけでもなく、駅が近くにあるわけでもなく、ただ海が広がっているだけの街だった。
地元とは違った海の独特の香りがする新居で、私たちは新生活を始めることとなった。どうなることかと思ったが、住めば都で私たちは馴染んでいった。

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一度だけ、両親が祖母を連れて私たちの新居へやってきたことがある。相変わらず祖母はボケていて、「誰の家?」と聞いてきた。「私の家だよ」と言えば、「ひとり暮らし?」と聞いてくる。
「結婚したんだよ」
「あ、ああ……そういえばそうやった」
わかってるんだかわかっていないんだか曖昧な返事をする。
もう帰ろうかとなった時、祖母がふいに口を開いた。
「いい街だね。海のにおいがして懐かしいにおいがする」
結局、それが祖母と病院外で会う最後の機会になってしまった。

引っ越した街へ遊びに来てくれた日からしばらくして、祖母は入院することになった。夫と両親と協力して看病したが、その甲斐もなく寝たきりになってしまった。
「いよいよ最期かも」という時、私は体の異変を感じた。胃のあたりが膨らんだようなムカムカしたような感じ。
「これは妊娠したのではないか?」と。女の直感である。
「おばあちゃんの生まれ変わりがお腹の中にいる!」
冗談抜きでこう思った。今思い返せば、まだ祖母は亡くなっていないのに不謹慎だし、頭がおかしいと思われるに違いない。後にも先にも、この出来事は我が人生の中で最高に狂っている。
祖母の葬儀やら手続きが終わって落ち着いた頃、やっぱり私は妊娠していた。
「おばあちゃんがお腹の中にいる!」
ひとりそんな風に大騒ぎしていたので、周りからは奇妙な妊婦にうつったことだろう。今思えばマタニティハイだ。恥ずかしい。

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つわりで吐いてしまった時、体が思うように動かなくてしんどかった時、あの街の、あの家の海のにおいだけはどこか安心するものだった。もしかしたら祖母が見守ってくれていたのかもしれない。
もしも祖母が生きていれば、どんな風に私の娘と過ごしてくれただろうか。娘を育てている時、ふと考えてしまうことがある。きっと困ったような笑顔で、海のように優しく、大らかにわたしたちを包み込んでくれるだろうか。

あれから引っ越して、別の街へと住み変わってしまったけれど、今でもあの街のにおいを思い出す。祖母がいい街だねと笑ってくれた街。いつか娘と訪れることがあれば、祖母がいい街だよって言っていたよと教えてあげたい。
きっと娘が住むことになっても、見守ってくれるはずだから。