高校2年、修学旅行で行ったベトナム。
波が荒い川を船で渡って到着した島。
島の一角にある露店で売られていたトートバッグに、私の心は惹きつけられた。
そのトートバッグを、買えなかった。

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修学旅行のプログラムは、自由とは言い難いものだった。現地はバイクの交通量が多いため、徒歩での移動はほとんど許されなかった。
生徒の足となるのは、クラスごとに割り当てられた1台のバス。ホテルと訪問場所を往復するために大半の時間を費やした。

そんな旅行のなかで異質だったのが、「現地の人が住んでいた場所を、急いで観光用に整えました!」といった雰囲気の、島内散策ツアーだった。

獲物を捉えるやる気が1ミリも感じられない大蛇を肩の上にのせたり、ココナッツの実をまるごと使ったジュースを飲んだり、ちょっとチープな体験を大量に採用。
複数のグループに分かれた生徒が各エリアをたらい回しにされており、私は石けん作りを見学する場所へ向かった。

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トートバッグを陳列している店は、青いビニールシートの屋根の下。観光客が歩く道の脇に、落ち着いた佇まいで存在していた。

店の前を歩いていたとき、一番大きなトートバッグが目に留まった。
A4ファイルが入るくらいの、縦型のバッグ。
赤や黄色、緑など、いろんな色、大きさの布が継ぎ接ぎされている。

布の柄は、ペイズリーだったり、チェックだったり、水玉だったり。天井から吊られた紐にフックがかけられていて、そのフックに、たくさんのトートバッグがぶら下がっていた。
どのトートバッグにも、値札はついていない。
代わりに、砂ぼこりがうっすらとバッグの表面を覆っている。

美しいとは思わなかったけれど、風にゆらゆらと揺れる姿は、どこかチャーミング。
空港で換金してもらった現地の通貨はほとんど使っていなかったので、おそらく買える。
値段を尋ねようと思い、店員さんへ目を向けた。

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吊り下げられたバッグと他の小物を並べた木製の棚に囲まれた椅子に座っている、初老の女性。
ベトナム語は分からないけれど、大抵の場所で英語が通じるとツアーガイドに教わったから、たぶん大丈夫だろう。
初めて蛇を手で持ったおかげでコミュ障が一時的に改善されていた私は、笑いながらバッグを指差して「ハウマッチ?」と声をかけた。

しかし、5秒、10秒と待っても、店員さんの声が聞こえない。
額に汗を垂らし、黄色の細い布をハチマキのように頭に巻いて、口の端をきゅっと結んで。
何事もなかったかのように、視線を下に向けている。
普段の私なら声をかけるのに勇気を要するような、迫力のある女の人だった。

完全なる無視。続けざまに無視される未来を予想しながらの「ハウマッチ?」は、無理だった。どこに惹かれたのかよく分からないバッグを諦めるほうが、気が楽だった。

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店を通り過ぎ、日が暮れるまで島内を巡ってから、手ぶらでホテルへ帰った。
一夜が明け、現地から旅立つ日。大規模な土産物屋に学年全体で向かうと、私が心を惹かれたトートバッグとよく似た品物が、棚に積み上げられている。
カラフルな縦型のトートバッグ。
明記されている値段は、私の手持ち分から払える金額だった。

見渡すと、土産物屋には、島の店で見たのと同じような商品が他にも売られている。
どこかの工場で作った同一の商品が、ベトナムの各地に流通して、販売されているのかもしれなかった。
だけど、ピカピカに磨かれた金属製の棚に陳列されたトートバッグと、島で見かけたトートバッグは、なにかが違う。

砂ぼこりをかぶりながら、生ぬるい風に吹かれていたバッグ。
明るい店内に並べられ、白い紙に鮮明にプリントされた値札が付いているバッグ。
棚の前に立っている私の脳裏には、声をかける前も後も変わらない、むすっとした顔の店員さんと、吊り下げられたトートバッグの映像が再生されていた。

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結局、小さな馬のぬいぐるみが付いたキーホルダーと、銀色のラメがついた扇子を購入して、私は土産物屋を出た。
そのほかにベトナムで買ったのは、変な香りが漂うお茶と、やたらと甘いプチケーキだった。

あのとき店員さんにもう一度値段を尋ねていたら、トートバッグを買えたのだろうか。
格別に可愛らしいわけではない、格別に美しいわけでもない。
でも、欲しい。
無愛想な店員さんに、諦めずに、声をかけたかった。
テレビや雑誌でベトナムの風景を見るたびに、そんな思いが、他の感情を押しのけながら浮かび上がる。

あの島のトートバッグを買うことは、私が生きている理由の、百万分の一くらいの割合を占めているのかもしれない。