引っ越し初日の夕焼けが、忘れられない。群青に、少しオレンジが残ったような空を。
群馬を選んだのは、ひとめぼれだった
私は、大学進学で群馬に来た。高校2年生の冬、偶然家に届いたパンフレットがきっかけだった。紙面の中で、みんな楽しそうに笑ってて、異国の地にある大学のオープンキャンパスに行った。
最寄り駅に着いた途端、もう、ひとめぼれだった。直感でここだ!と思い、進学を決めた。
まあ、そんなわけで群馬に来た。
初めての一人暮らしの地。だから何もわからなくて、でも知らない街だから発見がたくさんで、わくわくが止まらなかった。
住んだ街はのどかな田舎街で、優しくて落ち着く街だった。アパートのまわりは一面麦畑で、最初はそれが何なのかわからなかった。のちに「麦だ」ってわかるんだけど。その畑が夏前には田んぼに変わる。水路に水が流れ出すと、もう田んぼになる!って心がおどって、田んぼに水が張ったとなると、もう大好きな風景。ほんとに好き。水が見えるだけで涼しくなるような気がするから。
他には、ねこがたくさん通りすぎていったり、ちいさな神社があったり、ちいさな川があったり。ながれる時間がゆっくりで、この街が自分に合っているってすごい感じた。
「辛い」と「楽しい」が入り交じった日々
でも、群馬での生活は楽しいことばかりではなかった。2020年入学だった私は、1年生の時はコロナ不安で、救急車で運ばれたりもした。
でも楽しいこともたくさんあって、例えば現代ヨーロッパの授業。オンライン授業だったけど、先生が毎回授業の最後に自分で撮ったドイツとかヨーロッパの写真を紹介してくれた。そこには、クリスマスマーケットの写真もあって、いつかこんな場所に行きたいなって思ったりして。そんな風に温かい気づかいをしてくれる先生の授業は本当に楽しかった。
2年生の時は、なんとかのらりくらりしながら自分のペースでやり終えた。大変だったけど、楽しかった。友達、先生に恵まれた。
フィールドワークという授業があって、何度もフィリピンのことについてプレゼンをしたり、時には東京でプレゼンしたり!他にはオンライン上でストリートチルドレンの子と話したり、タガログ語でお店の人に料理を注文したり。オンライン上でだよ!
フィリピンとインターネットで繋いで私のタガログ語で言った注文を、リアルタイムで直接店員さんに聞いてもらったの。こんなことある!?って感じじゃない!?
そんな風に進んでいく授業がただただ楽しかった。大変だったけど、本当に楽しかった。
そんな大学生活が、3年生になってちょっと変わった。ゼミが始まって、予想外に色々なことが起こった。やってることがちゃんと評価されてないなって思ったり、ミーティングは強制参加ではなかったから、来る人と来ない人がはっきり分かれて、ちょっと辛かった。やってる意味あるのかなって。他にも、1年生の時よりもオンライン授業が多くなったり、つらい状況が続いた。
そして6月、群馬の40℃を超える暑さに、私はもうこの街にはいられないと思った。心が限界になって、実家に帰ってきた。大学は休学することにした。
コロナに翻弄された生活を、「空」が助けてくれた
そんな事情なんだけど、こんな事情でどうしようもなかったんだけど、やっぱり私は、群馬のこの街が本当に好きだったんだなあって。
満天の星、田んぼ、夕焼け、朝焼け。静かな空気。ごみ捨てのときに優しくあいさつしてくれる周りの方がたくさんいるこの街は、温かい空気が流れていて、自然がたくさんで、心が落ち着いて温まるとても素敵な街だった。
あと言ってなかったんだけど、こんな日々の中にいた私を救ってくれたのは、この街の「空」だと思う。
群馬は晴れが多くて、朝焼けや夕焼け、星が毎日綺麗に見えるくらい、空が本当に綺麗な街だった。そんなこの街の空が大好きで、毎日「空」に救われていた。空を毎日見上げて、きれいな夕焼けを見ては、もう今日死んでも悔いはないな、って思ってた。それくらい自分を助けてくれるモノだった。
綺麗で、美しくて、優しくて、温かくて、そんなこの街の空に、私は救われていた。だから生きていくことができたんだと思う。ほんとうにありがとう。
ふふっ、こんなこと言ったけど、空への感謝ってなんか照れくさいね。
そんな街から離れて2ヶ月。まだ離れて2ヶ月なのに、心が落ち着くあの街に帰りたいなあって思う自分もいる。それくらい大好きな街だったんだね。たぶん一生忘れられないんだろうな、この街を。そして、もうちょっとこころが落ち着いたら、またこんな街に住みたいな。
今は、そんな街を想いながら、自分のペースでゆっくり、のんびり、生きていこうと思う。ほんとうにありがとう。忘れられない街で出会った、忘れられない空へ。