小学生の時に読んだシャーロック・ホームズの舞台だったイギリス、特にロンドンはいつか行きたい私の憧れの街。

私の家では、家族旅行もほとんどなかったし、小学生になるかならないかぐらいに東京ディズニーランドに行ったのが1番遠くに行った家族旅行の記憶だった。あとはほとんど県内から出ることがなかった。
だからこそ、保育園に通っているくらいの幼い時に、電球からぶら下がったウルトラマンがついた小さな地球儀で、日本が地球の中ではほんの小さな一部分でしかないことを知ったときは衝撃だった。
いつか行きたいと思いつつも、県内から出ることもほとんどないのに、国外に出るなんて夢のまた夢のように思えて、本当に行くことはないと大学生になるまでは内心諦めていた。

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大学では教育学部の英語科に入った。大学で数多くの留学生と話す中で、自分も英語圏の国に留学したいと思いつつも、経済的な面から長期的な海外留学はきっと無理だと諦めていた。
しかし、バイトで貯めたお金で初めて海外旅行に行ったことがきっかけで少しずつ海外旅行に行くようになり、短期留学にオーストラリアに行ったりした。どんなに海外へ行ってもイギリスにいつか行きたいという思いは消えなかった。

私の大学では交換留学先として協定校がいくつかあり、中にはイギリスの協定校もあった。
交換留学を希望したら誰もが留学に行けるわけではなかったし、特に私の大学の教育学部は教育実習の関係で留学したら即留年だったので、1年卒業が遅れることに迷いもあった。
そして、何よりお金のことは懸念していたし、母親に何と話すかものすごく迷った。それでも諦めきれず、母親を説得して、交換留学を希望した。

イギリスのリーズにある大学への留学が正式に決まった時、私は熊本地震の直後だったが、そんな状況でも心の底から喜びを感じた。しばらくぶりに戻った、まだ濁った水が出る自宅で電気もつけずに大学の担当課からのメールを確認して、文字通り飛び上がって喜んだことを今でも覚えている。

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留学中は奨学金をもらっていたが、お金をかけられず、一番安いバスでロンドンまで行くことに決めた。リーズからロンドンまではバスで5時間かかったが、それでも全然苦じゃなかった。ただ、ずっと憧れていた街にいけることに期待してわくわくして楽しみでしかなかった。

大英博物館やバッキンガム宮殿の冬用の制服を身にまとった衛兵の交代式、ビックベン等、ロンドンにいるということを実感させてもらえるものはたくさんあったが、地下鉄に乗り、“Baker Street”の文字を見たときは、感動は何にも負けなかった。感動を覚えつつも現実感がなく、夢見心地な気分で本の世界に入ったような気分だった。
これが1回目のロンドン訪問だった。

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2回目にロンドンを訪れたのも、交換留学中だった。教師にはならず民間企業に就職することを決めて、キャリアフォーラムに参加するためだった。1回目の観光気分とは違ったが、それでも憧れの街に行くことには変わりなかった。
キャリアフォーラムに参加するために、スーツ姿でパンプスを履いてロンドンの石畳を歩くのは、気分が高揚した。1回目に来た「おのぼりさん」の感じではなく、ロンドンの街並みを「ビジネス」で歩いている感じがしたし、根拠のない自信が湧いた。
その根拠のない自信がうまく作用したかはわからないが、キャリアフォーラムでは本当にありがたいことに、今働いている会社から内々定をいただいた。

私の人生の中にターニングポイントがあったとしたら、イギリスに留学したこと、ロンドンでキャリアフォーラムに参加したことだろう。
幼いころに地球儀で見た日本のように、自分がどんなに小さな世界で価値観で生きていたか気づかせてくれた街。