学習机を今年中に処分したいから、と母上から指令が下った今年のお盆休みは、部屋の片付けに時間を費やした。
「学習机」と言っても、リビング勉強派だった私はそこでの学習の思い出は殆ど無く、ただ収納力に長けている「それ」には私の思い出がたくさん収められていた。

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とはいえ、親子揃って捨てるという行為が好きなので、計算ドリルや連絡帳なんてものはとっくの昔に捨てられ、せいぜい大学生の頃からの思い出の品しか無いが……。
そのくせ、例えば旅先で貰ったパンフレットなど、色んなものを「記念に……」と言いながら取ってくるため、捨てるわりに物も多い。
そのひとつひとつを「捨てる!」「取っておく!」とテンポ良く判別していかなくてはならない。「取っておく!」に見事選ばれた品々は、次の行き場である、学習机の真反対に位置するカラーボックスへと収納されるわけだから、この後カラーボックスに収納されている物も同様の判別が待ち受けている。

それにしても相当懐かしい。思わず判別の手が止まってしまうほどに。
アルバイト先の名札や、自動車免許の教習所のメンバーカード、当時付き合っていた彼と一緒に組み立てたミニ四駆……。
その彼に貰った某自動車部品メーカーのうちわまで保存されている。うちわは壊れてるし、捨てよう。このエッセイ、もし目にすることがあったらごめんね。

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学習机に備え付けられている棚の一番上には、私の歴代のスケジュール帳が並ぶ。
久しぶりにそれらを開く。
日々の予定やメモは勿論のこと、毎日5行程度の日記を書いている月もあれば、自分を鼓舞するように「大丈夫!」や「頑張れるよね」など一言だけ走り書きしている日もある。
深緑のスケジュール帳は、実らない恋にずっと振り回されていた年のもので、どのページも文字がびっしりと書き込まれている。
「もう冷めた」「どうでも良くなった」と書いてあっても、ページをめくり、その次のページ、すなわち次の週になると「LINEが来て嬉しい」「偶然会って少し喋れた」などの文言が並ぶ。
そんなことを繰り返していたら1年が経っていた。
「沈んだり浮かれたりしてんなぁ……」
ボールペンで書かれたその文字をなぞりながら、口から思わずあふれた言葉を、心のなかでも反芻する。

今の私ならもっと上手くやれるのに。
でももう同じ恋愛はやって来ない。あの恋愛を踏み台にもし似たような恋愛を成功させたとして、そしてその恋愛が幸せなものだったとして、いつか、私は「あの失敗した恋愛も含めて、全部この恋愛に繋がる運命だったんだね」なんて笑うのだろうか。
そんなの寂しい。
私は欲張りだから、あの恋愛もその恋愛も上手くやりたい。捨て試合みたいな恋愛なんて、一つも存在しないのに。

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断捨離に大切なのは、潔さだ。執着を無くして割り切らなければ、いつまで経っても学習机を空にすることはできない。
「断捨離」という言葉は人間関係に関しても使われるが、私は特に恋愛における断捨離ができない。よりを戻したそうな元彼とも未だにLINEをしているくらいだ。
あの実らなかった恋は、私が何度も何度も再生を試みては失敗を繰り返しているので、ボコボコに変形してしまっている。

私はその屍を越え、次からの恋愛に活かす前向きさと潔さを持ち合わせていない。
あろうことか「寂しい」と駄々さえこねる。
本当に、今の私なら上手くやれるのか?
どんなに似たような恋愛を経験しようと、私自身が潔さを持たねば同じ結末を辿るのではないのか。そして、この「潔さ」とやらが、却って相手を惹きつけることもある。
「潔さ」を持たねば。そして恋愛においても断捨離ができる人間にならねば。

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階段の下から私を呼ぶ母の声が聞こえる。
「ねえ、片付け進んどる?いちいち懐かしいとか言って本見よったら進まんよ〜!」
その声を聞いて慌てて、「進んどるって〜!大丈夫!」と答える。
「うん、大きな進歩だな」と呟いて、深緑のスケジュール帳を閉じた。
お盆休み中に終わらせておきたかった片付けは、やはりもう少しかかりそうだ。まあ、いいや。徐々に、かつ確実に進めていきたい。