2020年9月、私は一人で京都へと向かった。
当時の私は職場でも上司からのパワハラやセクハラに我慢し続けていたけど限界がすぐそこまで来ていて、恋愛も自分が思い描いていたような幸せなものではなくて、私の味方でいてくれたはずの家族ともぎくしゃくして口論が増えていって、いつの間にか感情を“無”にしながら毎日をベルトコンベアーの流れ作業のように過ごしていた私がいた。
こんな状態をどうにか変えたくて自分なりにもがいてみたけど、もがいたらもがいた分だけ余計に状態は悪化して、ずっと心臓をぎゅっとえぐられて喉元がぐっと熱くなるような、いま振り返るととても苦しい毎日が続いていたと思う。
こんな日常から少しでも抜け出して束の間の休憩が欲しくて、私は京都へひとり旅に出ることにした。
どうして行き先が京都だったのか、今思い返しても上手く説明できない。だけど神社仏閣へ参拝することが好きな私は、その当時自分の力だけじゃどうにもできないこの状況を少しでも何かに縋りたくて、心の拠り所が欲しくて、有名な神社仏閣が多く建ち並ぶ京都へ行くことにしたんだと思う。
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京都到着後は参拝したい神社をいくつか挙げて、それ以外はあえて綿密に計画を立てずにノープランで京都の町を歩く。一人で京都の神社仏閣を巡るなかで色んな人を目にした。
良縁祈願のためにお参りに来た、私と同世代らしき着物姿の二人組。
子どもの受験合格祈願のために、お守りを買い求めに来たらしいお父さん。
切実そうな表情を浮かべながら、絵馬に願いをしたためるおばあさん。
修学旅行生なのか、引いたおみくじに一喜一憂して楽しそうな高校生たち。
ウォーキングついでに参拝にきた様子のタンクトップ姿のおじいさん。
私のように縋りたい気持ちを抱えた人もいれば、明るい未来を信じて願ったり、自分のためではなく大切な誰かのために参拝に来た人もいる。願いや思いの種類も、その強さも様々な私たちが参拝のためにここへ足を運び、自分の願いとか思いや、お礼の気持ちを伝えた後はまた各々が帰路へとつく。
ずっと自分だけが苦しいと思っていた。すごく自分だけが惨めだと思っていた。
なんで私ばっかりこんな思いしなくちゃいけないの、どうしてこんな目ばかり遭うの。
ここに来る前の私は自分だけが苦しい気持ちを抱えてると勝手に思い込んでいた。だけど、京都へ来て神社仏閣を巡り、多くの参拝客を見て、
「何かに縋りたいと思っていたのは私だけじゃない」
たったそれだけのごくごく当たり前のことが分かっただけで、だいぶ気持ちが軽くなった。
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少しずつ心の余裕が出てきた私は、京都御所や今宮神社に足を運んだり、綺麗な景色を写真に残したり、京都でのひとり旅を楽しめるようになっていた。
京都御所を歩くと穏やかに散歩をしている老夫婦がいたり、ベンチに腰掛けて読書をしているおじさんがいたり、汗を流しながらランニングをしているどこかの高校の陸上部がいたり、静かな京都御所でいくつもの人たちの人生が交わる様子を観察するのが楽しかった。京都御所に咲いていた百日紅の鮮やかなピンク色がすごく綺麗で、思わず何枚も写真に収めた。
今宮神社の静かな境内を歩くと、時間がゆっくり流れているような気分になって何時間でも居られる気がした。加茂なすや金時人参などのかわいらしい京野菜の絵の刺繍に心惹かれて、玉の輿のお守りもなぜだか思わず買ってしまった。参道で食べた出来立てあつあつのあぶり餅、美味しかったなあ。
自分が参拝したいと思っていた場所をすべて参拝し終えたころには、歩きっぱなしだったから足はパンパンになったけど、心はすっきりと晴れやかな気持ちになった。
参拝したり、お守りを買ったりしただけで、自分の思い悩んでいた現状が改善されたわけじゃない。だけど、確実に京都に来る前の私とは考え方も心の持ちようも変わったし、京都に来てよかったと思えるひとり旅だった。
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京都へひとり旅をしてからあっという間に約2年が経つ。
今の私も周囲には様々な問題が立ちはだかっていて、すごく苦しい毎日だ。だけど、そんな時は2年前に感じた自分の気持ちや京都で買ったお守りを味方に、今を乗り越えようと思う。
そして、また近いうちに京都へ足を運んでお礼参りをするんだ。そう自分を鼓舞して、この苦しい毎日を自分を支えてくれた経験や思い出とともに私は乗り越えていく。