幼少期の頃から、母に人前で泣くなと言われて育った。悔しいことがあっても、悲しいことがあっても、卒業式の日も、私は泣かなかった。

卒業式の後のクラス会で、1人ずつ前に出て感謝の言葉を述べ、涙を流すクラスの女の子達を見ながら、どうして卒業式の日も泣いちゃいけないのだろうと思った。
男の子はともかく、女の子のほとんどは泣いているし、その姿は可愛いとも思う。
体調を崩して卒業式に出席できなかった母に、卒業式とクラス会の様子を伝え、そして今日抱いた疑問を投げかけた。

「女はね、男より本当は強いのよ。泣くから弱いってなめられるの。だから、人前では泣いちゃだめ。あなたは強く生きなさい」
悔しさにも、悲しさにも、別れの寂しさにも、これからの人生で、私は直面するのだろうけど、負けない。
私は人前では泣かない。
中学校を卒業した日、私は静かに決意した。

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好きな人に大切にされなかった日、だから泣かなかったのかと言われるとそうではない。寧ろ、彼の態度への抗議を込めて咽び泣き、せめて罪悪感を与えてやるつもりだった。
いくら彼が「人たらし薄情男」であっても、流石に少しは響くだろう。さあ、良心の呵責に苛まれろ!
だが、一向に涙は出ない。
それどころか泣きたい気持ちにもなっていない。彼への抗議もだんだんどうでも良くなってくる。
彼の態度や彼の嘘を思うと、心のなかでシャボン玉が次々と弾けて無くなっていくような感覚になる。何の感情も湧かない。
私のことを少しでも好きだと思ってくれているのではないか。こんな彼にも心優しく純粋なところがあるのではないか。そんな期待で彼を見つめるのに、彼の驚くほど綺麗な瞳は、いつでも冷たくてつまらない現実を映し出すばかりだ。
まあ、その現実が紛れもない事実であり、私はただ1人で期待して、まさかのドンデン返しが起こらないことにただ虚無感を抱いているだけなのだが……。

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長時間、私がクッションに顔を伏せていたためか、彼は私が泣いていると勘違いしたようだ。ちょっと鼻を啜ったからかもしれない。
まあ、いいか。泣いてやろうとも思っていたし。
私はまた何度か鼻を啜った。
彼は私の右耳の隣にティッシュの箱を置くと、「ティッシュあるよーん。おやすみなさ〜い!」と言いながら台所のほうへと消えた。そして冷蔵庫を開け、何かを取り出し食べている模様。
たぶん、というか確実に彼のなかで罪悪感は生まれていない。
かえって、この日を境に彼はより私をぞんざいに扱うようになったように思う。
彼の振る舞いは、私より優位に立ったと確信した振る舞いである。完全に。
くそぅ、なめられた(っていうか泣いてないぞ)。

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涙は女の武器である。
しかし私の人生には、女の涙なんぞ屁でもない薄情野郎を好きになる……なんてことが往々にして起こる。そんなやつの前で泣いてはいけない。何食わぬ顔でニコニコ生きていなければならないのだ。

人前で泣かない私が唯一、涙を流せる場所はお風呂場である。涙の形跡と鼻の赤み、多少の嗚咽くらいなら誤魔化せる。シャワーで悲しみも洗い流す、なんてありきたりなフレーズのような気もするが、うちのシャワーヘッドは高級で高機能なものでもないのに本当に流してくれる。
ただ、顔に直接シャワーを当てるのは、美容の観点から見るとよろしくないのでやめたい。
そもそも、アラサーになったいい大人の女がそんな薄情野郎を好きになること自体やめた方が良い。さっさと男の方を洗い流せ。