人混みが苦手で、風邪を引きたくないから初詣なんて行ったことがなかった。保育園時代、お散歩がてら神社まで足を運ぶ程度で、参拝らしい参拝もしたことがない。受験の時だって、母が買ってきてくれたお守りをもらう程度。

「神様なんていない」と悲観的なことがあったわけじゃない。本当に、ただ「行かなくてはならない理由が見当たらない」だけだった。ほんの少しだけ、「神様に願ったところで、所詮自分が何とかするんだから時間の無駄」と思ってた自分もいたことは否定しない。

私が神様を頼ろうと思ったのは、縁を断ち切るため

私は昔から、人生2周目かと思うくらいにはどこか達観しているところがあるらしい。安心して欲しい。達観してるんじゃなくて、下に兄弟が多いと嫌でも現実を見て生きなきゃと思うようになるだけだ。

そんな私も神様に頼ろうと思ったことが一度だけあった。

2年前の冬、私は神宮を参拝した。縁を断ち切りたくて、神様にお願いしに行ったのだ。

縁切りで有名な場所といえば、京都にある安井金比羅宮だが、そこまで行ける程近い距離じゃなかった。だから、自分の住む場所から行ける範囲内で縁切りの神社がないか調べて、見付けたのが神宮だった。何でも、第二鳥居は縁切りのご利益があるらしい。これは行かないといけない。週末には友人と一緒に足を運んでいた。

参拝するにあたって、礼儀は重んじなければならないもの。鳥居をくぐる前には一礼して、参道の端を歩いて本殿まで。手と口を正しい手順で清めて、正しいやり方でお参りをした。

なんとなくルールは知っていたけれど、間違っていては失礼に値すると思って、前日に何度も見て覚えた。それでも不安だったから、神宮にたどり着く直前で調べ直した。「大人として出来るのが常識。出来ないのは非常識」テレビでよく言っていたことを思い出して、最低限身に付けるべきマナーとして叩き込んでおいた。多分、次の参拝の頃にはまた忘れているだろうけれど。

神様にお願いしたことはたった一つ。

「今の職場を辞められますように」

がむしゃらに働いていたがほぼ限界。だから、神様にすがった

当時の私は周りから「辞めなよ」と言われるくらいには色々と職場の環境が悪かった。人間関係は良かったけれど、上がダメだった。色々と任されて、溺れそうになりながらがむしゃらに働いた。具合が悪くても、熱があっても、「とりあえず来て」と言われて出勤した。電車に30分揺られるのは、本当に辛かった。

辞めようと思って、結局言えずじまいだった。一度だけ言って、引き止められてしまったのだ。だけど、ほぼほぼ限界だった。だから、神様に縋(すが)った。その結果がどうなったのか。

その年、神様は私をその職場に留まらせた。辞められなかったら、神様が残るようにと仰ったのだろうと受け入れるつもりだったから恨んではいない。それが天命だった、そう私は思うことにした。

年度が変わって去年。私は自分の体に異変が起きていたことにようやく気付いた。もともと不順だった月経が4ヶ月も来ていなかった。その上、食べ過ぎたわけでもないのに体重が8kgも増えていた。コロナ禍とは言え、何かあったら困るからと婦人科を受診した時、私は初めて自発的に排卵が出来ない体であったことを知った。

周期通り月経が来る経験をするにあたって、薬を飲み始めた。副作用が強くて、食欲不振や吐き気に襲われる毎日。薬を飲んで起こした月経は恐ろしい程に重たくて、意識が遠のきそうになるくらいしんどかった。重たい方だったのに、それ以上にひどくて泣きたかった。だけど、仕事は休めない。休ませてはくれない。

「もうここを辞めよう」と決意した日、お守りが切れた

定期的に薬を飲んで、副作用と戦う日々の中、30分電車に揺られるのは地獄だった。早退するにしたって、電車に乗る地獄が待っている。

このままじゃ、ダメだ。もうここを辞めよう。

本気でそう思って、上司に言うぞ!と決意したその日、神宮で買っていたお守りが切れた。心のどこかで、神様が「今がその時だ」と背中を押してくれた気がした。

結果的に私は今年の3月付けで退職することが出来た。神様はあの時、私を職場に留まらせたのではなくて、辞めるための準備をまだしている途中だったのかもしれない、なんて。都合良く考えた。

だって、私が今の職場を辞めた理由は「体調不良」だったから。理由はいくらでもあったけれど、引き止められない理由はこれしかなかった。

もちろん、神様にお礼のご報告と今後のお願い事もしに再び参拝もした。その時に願ったことは神様と私の秘密にしておく。

余談ではあるが、私は1年くらいハマっているゲームのガチャが、今年に参拝した時から引きが良くなった。別にガチャ運上昇はお願いしていなかったが、毎日必死で頑張っていた私に神様がちょっとだけプレゼントをくれたのかもしれない。ちなみに、今年引いたおみくじは大吉だった。何だか今年は良い年になりそうだ。神様ありがとうございます。

礼儀を重んじれば、神様は微笑んでくれるのかもしれない。嘘みたいな本当の話である。
きっと私は来年も参拝しに行くのだろう。1年に1度、神様にご挨拶と近況報告をするために。