毎年、保育園の頃の担任の先生から年賀状が届いている。卒園して以来、一度も会ったこともなく、ただ年賀状のやりとりだけが毎年続いている。

「あなたのように」と手紙に書かれた姿と、実際の私に感じるギャップ

私が高校2年生のとき、その年賀状から先生が結婚していたこと、さらに初めて妊娠したことを知った。その年賀状を見た母が安産祈願のお守りを送ることを提案してきた。
当時の私はその行為が余計なお節介になるだけではないかと思い、渋っていた。しかし、出産の大変さを知る母に説得され、安産祈願の絵馬とお守りを先生に送ることに決めた。近所の神社で買ってきた絵馬に「無事に元気な子が生まれてきますように」と願いを込め、お守りとともに送った。
それから一ヶ月ほどたった頃、先生から手紙が届いた。生まれてきた赤ちゃんの写真とともに長時間のお産だったことや母子ともに健康であること、絵馬とお守りが書かれていた。さらにそこには「あなたのように心優しく芯の強い子に育って欲しい」と書かれていた。
私は手紙を読んで、心優しくもないし、芯は強くないむしろ弱いのに、と書かれた言葉とのギャップを感じた。

先生にもらった言葉が私の目標になり、困難を乗り越える力になった

当時、部活や勉強、人間関係で思うようにいかず、精神的に弱っていた。いわゆる病み期で、自分の弱さを常に責めていた。しかし、何気に向けられたこの言葉をうけて、心優しく芯の強い女性になることが私にとっての目標になった。
それからすぐに変わったわけではない。大学生になった今も心優しく芯の強い女性になることができているのかは分からない。
でも、自分が行動するとき、いつも頭の片隅にあるのは心優しく芯の強い女性になりたいという心持ちだ。この心持ちがあったからこそ、つらいことや様々な困難もなんとか乗り越えることができたような気がする。

先生に会うことができるのなら自信を持って会えるのだろうか。少なくとも大学生になった今は向けられた言葉と現実のギャップを感じていた高校2年生の頃の自分と同じではない。
先生が、私の担任の先生であった頃の年齢に近づいている。もし会うことができるのなら魅力的だと思われるような大人な女性の一人として、話してみたい。
つらかったときに何気ないあの手紙に心動かされ、今一度自分自身と向き合うきっかけになったことも伝えたい。

伝えたい想いがある時は、一言でも気持ちを伝えるために手紙を書きたい

小さい頃は新年の挨拶が年賀状であったのに、年を重ねるにつれて段々とスマホで簡単に済ませるようになってしまっていた。実際に自分の手で書いたものはその時々の気持ちが残り、伝わることに改めて気づかされた。
SNSでのやりとりは手軽に連絡を取れるが、手で書いたものだったからこそ心を動かされた。そんな手紙などの紙媒体を使うことから離れてはいけないなとも思わされた。
私も家族や友人、大切な人たちに本当に伝えたい想いがある時には一言でも気持ちを伝えるために手紙を書きたい。
今までの私がこの出来事を含め、様々な出来事のおかげで変わることができたように、今の私にはまだ難しいかもしれないけれど、少しずつ自分に自信を持ち、より心優しく芯の強い、魅力的な女性になろう。