しがない田舎の高校、就職に役立つ技術を身に付けたくて入ったその高校は、毎月検定試験に追われ、テストに追われ、補習に追われ、課題に追われ、息が詰まりそうなほど忙しかった。
そんな毎日も、今となってはいい思い出だ。
そして、もう一つ、高校生活の思い出話をするときに欠かせないものがある。

私には高校生活の中で忘れられない日がある。今から3年前のあの夏の日、私は泣かなかった。
でもそれは、辛いとかそんな感情はなくて、ただただ美しかった。
そんな日が来るなんて、彼らに出会った頃の私は知る由もない。

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彼らについて知ったのは、何気ない友達のおすすめの音楽だった。
高校に入って半年が過ぎ、毎日おはようの挨拶と共にハグをして来る友人Yは、夏休み明けのある日教室で、
「ねー。この曲カッコよくない?」
「うーん。特にいいかな、オラオラ系苦手だし、ダンスとか無理だし」
「試しにさ、何曲か送っとくから見てよ」といわれ震えたスマホ。
「了解」
読んでいた小説から目も離さず、適当に返事をした。
そんな軽いやり取りから始まったのが、彼らとの出会いだった。といっても私はそのメールを2か月放置した。

「ねぇ、動画見た?」
「なんだっけ?」
という始末。
「本ばっかり読んでないでさ、少しは高校生らしいことしようよ」
「こんな田舎でそんなのできるわけないじゃん」
「だけどさ、楽しみたいじゃん青春。流行に乗ってみるのもありでしょ」
「流行がここに到達するころには、どうせもうほかの流行が始まってるでしょ」
「それだけじゃないじゃん。はい。今日の放課後は本屋行くよ」
ちょうど小説を読み終え、新しいのを見つけに行こうとしていたので「まあいっか」というくらいに了承した。

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本屋につくなり、私を雑誌コーナーへ連れていく友人Y。
「はい。この中で好きな顔は?」
「いない」
と言いつつ、友人Yによる推し探しが始まった。
「そうするとあなたの推しはこの人かこの人」
「あー。こっちは名前聞いたことあるかも、そして、微妙に私の言っていることと違う気がするけど、まあいいや。で、あなたのその、推しとやらはどの人?」
「あー、この人」
「彫り深い人好きだよね」
「この人とこの人は同じグループなんだよ。アクロバットもできるんだよ」

なんていう間に友人Yの中で私の推しが決定した。
次の日からは、動画サイトの中の動画をひたすらに見せられ、
「あ。今のいい表情してたな」って思ったら、「何ニヤニヤしてんの」と動画を巻き戻された。

そこからは早かったのかもしれない。顔を覚えて、名前を覚えて、誕生日はさすがに無理だったけど、だんだん沼に落ちていったんだ。
毎朝、推しの画像を見て、鑑賞会をし、インタビュー記事はできるだけたくさん読んだ。最近は読む小説の声が、推しになっている気がした。

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そして、夏のあの日、彼らは、15人は新たな一歩を踏み出したのだ。
大きな歓声に包まれ、喜びと涙であふれる会場を画面越しに見ていた私から涙が出ることはなかった。
ひとりひとり映し出される彼らの目には、潤んでいたが涙はなかったからだ。
それを見た瞬間、泣かなくて正解だと感じた。ただ気が緩めばあふれてきそうで、高まっている感情を必死に抑えていた。
こんなに美しいものを涙で見えなくさせてしまうのは、もったいないとも感じていたが、私は彼らのことを、何も知らない。彼らの努力が実っている瞬間を共に喜んでいいほど、自分は素晴らしくないとも感じていたのだ。

推し事を始めて、私は彼らから学んだことがある。ひたむきに努力することの価値、人とのつながりの大切さ、何事にも感謝を忘れないこと、礼を重んじること。
そして、笑顔でいること。
人は一人では生きていけない。助け、支えてくれる人たちがいること、彼らはそれを忘れた日はなかっただろう。そしてこれからも手を取り合って成長していくのだろう。

世の中の状況が大きく変わった。私は社会人になった。学生の時には感じなかった世の中の厳しさも知った。でも、彼らから学んだことは私の中で大きな糧になっている。
あの日、泣かなかった分、いつか、彼らと喜びを分かち合い泣くことが出来る日を心待ちにしている。親愛なる推しへ最大限の敬意を込めて。