23歳、久しぶりに推しができた。
私のオタクとしての歴史は、小学校1年生まで遡る。当時、流行ったドラマに出演していたアイドルに私は恋をした。
小学1年生の時から始まった私の「オタ活」。そして、23歳またもや
髪の毛は茶色で、5cmはあるであろう彼の襟足。腰パンをしてズボンにはチェーンをつけて、スクールバックを肩に乗せてポッケに手を突っ込んで歩く。当時はこれがたまらなく「イケてるメンズ」だったのだ。
小学校1年生の私は、初めてみるイケメンに「かっこいい……」と完全に心奪われた。毎週ドラマの放送日には明日の学校の支度や宿題、お風呂を済ませ万全の状態で推しを拝んだ。
土日には友人と雑貨屋へ行き、少しずつ貯めたお小遣いで推しの顔がいっぱいに印刷されたシールを買う。家に大事に持ち帰り、切り抜く。それを眺める時間ほど幸せなものはなかった。
とまあこんな具合で、私の中のオタク気質は小学校1年生の時に既に目覚めていた。そして冒頭でも書いたように、現在23歳。推しができたのだ。これは私の中では大事件なのだ。
なぜかというと、私が長年推していたグループは活動休止。「これ以降のアイドルなんてアイドルじゃない!絶対他のグループなんて推さないから!(泣)」と豪語していたからである。それから1年も経たずに私は他のグループの沼に落ちた。
アイドルなんて興味のなかった幼馴染が一足先に沼落ちしており、一切見ようとしない私にめげることなくYouTubeのURLを送ってきていた。一時期、悩みがあって落ち込んだ時に少し長めの休みができたので、軽いノリで見てみた。「最近のアイドルはどうなんだ~?」というお手並み拝見くらいの気持ちだったのを覚えている。
おや……様子がおかしい。次の動画を再生というボタンを押す指が止まらないのだ。まさか、そんなはずがない。いや、はっきりと「ズボッ」と沼に足を踏み入れた音がした。
推しの動画を見て、「もし推しと付き合ったら…」と妄想が止まらない
そして、大人になってからのオタ活は一味違う。まず、自分で稼いだお金をそのまま推しに貢ぐことができる。CDとDVDを購入、ファンクラブに入る、という流れである。小中学生だった私には、夢のような状況である。「私は推しに貢献している…!これで推しが喜んでくれる…!」という思いが財布の紐を緩め、私のオタク心のガソリンとなるのだ。
金銭面以外にも、推しが私の心をつかんで離さない確固たる理由がある。私の推しは、グループ内での「リアコ枠」なのである。リアコとは「アイドルや歌手にリアルに恋をする」という意味で、グループの中でも最も「リアル彼氏」要素が強いメンバーなのだ。
私は、グループの中でもビジュアル担当で人気ナンバーワン! という存在よりも、この現実にいそうでいない、実際にいたら好きになってしまうであろう「リアコ枠」を推してしまうのだ。
先ほども触れたが、リアコの沼から抜け出せない理由としてYouTubeの存在がある。かつては彼らのステージ外の姿などは有料コンテンツ、またはDVDを購入し、特典のメイキングを見る必要があった。それが今では無料で見られる。有料コンテンツ時代の者としては思わず声が出た。「は…?ありがたすぎるだろ!(感涙)」。
ここで念の為、一つ言っておくが私はYouTubeの回し者ではない。例えば旅行企画。寝起きの少し声が枯れた推しを見た時。「えっ…ちょ、おまっ…寝起きこんな感じなん?(照)」と思ったり、素の「ん?」を聞いた時には「いやちょまっ…私と付き合ったら相づちこんな感じなんか?(照)」と言った具合に推しがリアコの場合、妄想が止まらないのだ。
そして推しのために取得したであろう、動画編集技術をお持ちのオタクのみなさまにお礼を言いたい。なぜかというと、YouTubeにオタクが作った「彼氏風動画」なるものが存在する。推しの彼氏感のある瞬間だけを集め、編集した動画である。
数分間誰でも推しの彼女になることができ、リアコの沼にハマった全オタクたちへ動画を提供してくれている。つい、どこで学んだ? と問いたくなる高度な編集技術である。推しのためにやる気を出したオタクの力は誰にも止められない。
推しは、どんな時も私たちを恋する乙女に変える「魔術師」なのである
そして、オタ活が生活の半分を占め出した頃、私はついに推しに会う予定などないのにまつげパーマをしたり、髪の毛を染めたりと自分磨きにまで力が入る。もう一度言うが、推しに会う予定などないのである。そう、推しはどんな時も私たちを恋する乙女に変える魔術師なのである。
あと、これだけは伝えたい。最近アイドルや歌手の方への迷惑行為も問題になっている。彼ら、彼女たちが安心してステージに立って、笑顔を見せてくれるようにファンとしての、いや、人としての常識は守った上でオタ活をしたいものだ……。
こうして、私はまた今日も夜中に推しの彼氏風動画を見るだろう。推しに冷める日は来てしまうのだろうか。
推しがいない生活なんて想像もできない。そんなことを考えると少し切なくなるが、心配ご無用。数分後私はまた推しの動画を見ているだろう。