中学生の頃だったか、クラスで先生からプリントが配られた。確か数学者のコラムのページを印刷したものだったと思う。
人間を法則に当てはめるのはどうかと思うが、慣性の法則だけは当てはまるだろう、というような内容のものだった。
彼氏は常に動いているから、当てはまるなとふと思った。
彼はミニマリストだが、そこも徹底している。必要最低限のものを少ししか持たないので、必要な物なら割と持っている私は、物を持ちすぎだと言われる。ある程度減らしたが、まだ多いそうだ。ネットで見たミニマリストの人たちを見ると、私もいい線いってると思うんだけど。
私は強情なので、彼氏に言われたからという理由だけでは、物を片付けたりしない。これまでの断捨離も、自発的な理由からだ。今回は、読んだ本に触発された。その人は、家電まで断捨離していたが、とても心地好さそうだった。
そこまではできないにしても、片付けをしていたら、学生時代の教科書が出てきた。
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学生時代は何かとせかせか動き回り、頑張っていた気がする。やりたいことは全部やるし、気になったことはなんでも聞いてみる。意外と嫌な顔をされないどころか、皆親切に教えてくれた。ちょっと鼻にかけた言い方をすると、私がとにかく前向きで、意欲的だったからかもしれない。
その頃の私が今の私をみたら、なんて言うだろう。まぁ鼻で笑われるのは間違いないな。どうしようどうしようと言うばかりで、何もしないんだから。
それから、こんな偉そうで何様のつもり?と言われそう。偉ぶってるわけじゃないけど、どこか驕りがあった。多分、適当に生きてる自分に意味を与えたくて、勝手に自分を偉いと思い込んだんだ。
自分なんて大したことないという自覚こそが重要なのに、そのことを忘れさせるような世の中になっている。これは忘れちゃいけない。皆一人間に過ぎない。その程度のちっぽけな存在だ。
でも、一人間の力も見くびらない方がいい。私たち、思っているよりなんだってできる。相手もそうだ。自分も相手も、見くびっちゃいけない。
現代日本は都市化しすぎていると、養老孟司先生が「バカの壁」でも書いていた。あの本も、19年前に発売されたから、20年近く前からこういうことが言われていたということだ。この本が発しているのは、考えすぎで体を使っていないことへの警告だと、私は解釈している。確かに、今の私は体を動かしてない上、ダメダメだ。
学生の頃の私は「なんでもすぐやる」と驚かれたものだ。思いついたそばから動くのをみて、引いてる子もいた。とりあえず合わせるために、その場しのぎのことを言うだけの人もたくさんいるから、それをほいほい実行に移そうとする人は、想定外だったんだろう。
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願望だけをいつまでも語る人は多いけど、それ、夢のままにしておくのは、もったいなくない?グアムに行きたいとか、バンジージャンプがしたいとか、実現のために必要な条件が多いものもあるけれど、バンジージャンプなら、頑張れば今叶えられるかもしれない。
そこまでしなくたって、例えば最近できたあそこのお店に行ってみたいだとか、この本が気になっているとかなら、試してみたらいいと思う。2000円あれば足りるくらいなら、私だったら即試す。やりたいことがありすぎるなら、優先順位をつけてランキングにして、上から順に見て、半日以内でできることからどんどんやる。
体より頭を使う空間にいると、ついつい頭ばかりに頼りがちだ。でも、本当にやりたいこととか、叶えたいことって、理屈じゃないんじゃないか。それは体の方がよく知っているはずだ。それを封じるのは、恐怖だと思う。
周りから取り残されるのは怖いとか、怒られるのは怖いとか、上手く行かなかったらどうしようとか。それって、本当に心配するべきことなのか?それなりに周りに合わせて上手く生きる必要はあるけれど、心配する前に、打開策はないのかと、試してみたのだろうか?それもしないと体は縮こまって、余計変な方向に向かってしまう。
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体も動かさなくていいなら、動かさない選択をしたくなる。私はそんなことをしたら怒られた。学生時代は好きなことに打ち込んできたから、一生懸命だった。皆本気なところに、私もついて行きたかったから、必死だった。だから生活の他の面でも、一生懸命になった。
エッセイを書くことも、体より頭を使うことだ。もちろん頭を使うことも大事だし、ここは皆にとって大切な場所だと思う。だからここで気持ちが落ち着いたら、そろそろ体も動かそう。文章を書いたら、出会ったら、次は体を動かそう。迷ったらまた考える。エッセイや本などにヒントを求める。その繰り返しくらいが、多分ちょうどいい。
そして本当に大事なことなんて、実はほんの少しのことなんじゃないかとも思っている。だからもう私は何年分も頭を使ってしまった。これからは体を使おう。
私が久々に出会ったのは、教科書じゃなくて、昔の自分だったらしい。
昔の私に恥じないよう生きるなら、やるべきことは1つだ。全力で夢に向かって、脇目も振らずに突っ走ること。そうと決まれば、四の五の言わずに動くしかない。
一度腰を上げてしまえば、何も考えなくてもするする動けた。考えずに動けば動くほど、自然と頭は最適な選択をして、最短ルートを進めた。これは頭を使って覚えたことより、今までの経験から自分の特性がわかっていることが、活かせた結果らしい。
何にもならなかったと思っていたけど、頑張るって無駄にならない。その力をつけるのも、活かすのも、行動以外の方法はない。
やっぱり夢を叶えるのは、そう簡単なことじゃないかもしれない。でも大丈夫、思うほど幸せって難しくないはずだ。私たちならきっとできる。目一杯体を動かして、私の夢も叶えるから、皆の夢も叶えてね。