2年前の暑い暑い夏の日、祖母の異変に気付き病院へ行くと、「胆管がんです」と宣告された。

頭は真っ白だった。目で見て分かるほどの黄疸、体重減少……。
なんとなく悪い予感はしていたが、頭は真っ白になった。
泣きそうになったものの、同席していた人たちか泣いていた。その姿を見て、「私は、看護学生。私だけでもしっかりしないと」と自身を奮い立たせ、Drからの説明を聞き続けた。

その後、祖母は手術を受ける選択をした。
手術日は私の単位のかかった試験があり、付き添うことはできなかった。
幸いなことに試験が朝一ではなかったため、朝、祖母に病院へ行き、「手術いってらっしゃい」とお見送りはできた。
その後、慌てて大学へ行き、試験が終わり嫌な予感を感じ、携帯を見た。
嫌な予感はあたるもので……、「色んなところに散らばっているから手術はできなかった」と連絡が……。

術前に「手術をしても転移が酷ければ取り除けない場合があります」等の説明はうけていたものの、ショックは大きかった。

◎          ◎

そこから2年、様々な事があったが、祖母は入退院を繰り返しながらも日々をおくっていた。
時には、「明るく楽しく頑張るね」など普段言わないことを言ったりもしていた。
祖母とは少し離れた所に住んでいるため、会える回数は少ないが、帰り際に握手するのが自然とルーティーンとなった。

今まで握手などしてこなかったが、祖母の手はゴツゴツしていた。温かい日もあれば、冷たい日もあった。少しだけ震えている日もあった。
そんな祖母の手を握ると、涙が頬をつたいそうになる。
でも……でもここで私が泣いたらだめ!と言い聞かせた。

祖母はまだ生きている。会話してくれている。温かい。
最期の最期まで、私は祖母の前では「笑顔」でいたいと告知の時に心に決めた。だから、「笑顔」でいる。自分を奮い立たせる。

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そして今……祖母は最期の時を迎えようとしている。
たまたま、ホスピスに入院する2日前に祖母の自宅で会っていた。その時は、大好きな食べ物に囲まれてモリモリと食事をし、沢山会話をし笑い、たまにベッドからもおき2人並んでTVを見たりもしていた。
「おばあちゃんは、後悔はないなー。やりたいことやってきたし。なんでもできるのは若いうちなんだから、今を楽しみよ。若いっていいな〜戻れるならもどりたいな〜」と、祖母自身の人生を振り返りながら言葉をかけてくれた。

その2日後、ホスピスのある病院へ入院し、Drからのお話があると連絡がきた。
緊急での呼び出しであったため、胸騒ぎしかしなかった。案の定DNR(蘇生措置拒否)の話しもあった。
DNRの際も、どこか冷静に涙も流さずDrやNsからの説明を聞き受け入れている自分がいた。

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少しだけ祖母の姿を見ることができたが、2日前までの祖母とは違った。
会話はできない、意識も混濁、苦しそうな表情、経口から摂取できない……。
"その時"が近いことを感じとるのには十分であった。
胸が締め付けられるように苦しく、現実から逃げたくなった。鼻がツーンとして涙があふれ出そうになった。
でも、告知の時、自分自身で決めた「笑顔」は崩したくなくて、涙は堪えた。
私は、良くも悪くも看護を学んで資格を取得したことで、どこか第三者として捉えることで現実から目を背けようとしている。
きっと私は「泣かなかった」のではなく、「泣けなかった」に近いのであろう。

命あるものはいつか最期の時がくる。
悲しいことだが、最期まで私らしく「笑顔」で、「ありがとう」を沢山伝えたい。
涙は決して悪いことではない。
人を強くも弱くもさせてくれるもの。
泣ける時がきたら、沢山泣いて、前に向いて進んでいきたい。

私が泣かなかった理由は……大好きな祖母が「笑顔」の私を好きでいてくれたから。