別に、学校生活がまったく楽しくなかったわけではない。
友達や先生との別れが、まったく寂しくなかったわけではない。
けれどあの日、私は泣くことができなかった。

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高校時代の私は、人と話すことがあまり得意ではなかった。
内気で人見知りで、自分に自信がなくて、今よりさらにコミュニケーションを取ることが下手だった。
だからか友達も少なく、いつも特定の子と仲良くしていることが多かった。
そんな私にも分け隔てなく親しく接してくれていたTちゃんという女の子がいる。
Tちゃんは、のちに高校を卒業した後も変わらず仲良くしているのだが、本当に気さくな子だ。

女子校だったのだが、クラスの中でも権力のある子とも普通に話すし、色々な裏事情も知っていたりする。
顔が広く、情報通なのだ。
私も昼食はTちゃんと彼女の仲の良い子たちと取っていたし、放課後や休日に一緒に遊んだことも何度もある。

体育の授業で二人ペアを作るときはだいたいTちゃんとだし、私が数学の授業の時にノートを取り忘れていたのを見せてもらったこともある。
テストの点は常に共有し(二人とも勉強は苦手だったけど)、同じ茶道部にも入り、本当に唯一何でも話せる親友のような存在だった。
誰とでも気さくに話すTちゃんがこんな自分と仲良くしてくれることが嬉しかった。
Tちゃんとは、高校二年間同じクラスだった。その中で、私たちは絆をより強く深めていった。

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長いと思っていた高校生活もあっという間なもので、すぐに卒業の時はやって来た。正直、卒業式の当日もまったく実感はわかなかった。
既に短大に進む道は決まっていたし、進路に悩むこともなかった。

Tちゃんと同じクラスだった二年の間に、少しだけ人間関係で問題が起きたことがある。
女子特有の、いざこざだ。
私はその時あくまでも中立の立場にいたが、どちらかというとTちゃん側の意見だった。
激しい対立やいじめなどがあったわけではないが、思春期の女子にはやはり起こり得ることだったのかもしれない。

卒業の日を迎えて、その問題にも終止符が打たれた。
結局明らかな解決とまではいかないものの、お互いにいがみ合うことはなくなったようだ。
そんなことも、卒業して十年経った今、懐かしい思い出に変わるものだ。

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卒業式の話に戻るが、私なりに充実した高校時代だったが、やはり別れを実感しても泣くことはなかった。
実際Tちゃんとは今も連絡を取っているし、お互いのSNSも知っている。
学生時代にいくら仲が良くても、卒業したら縁が切れてしまうならそれまでの仲なわけで、今も深いつながりは残っている。
特に不満があったわけではないが、泣けなかったのは、既にあの時Tちゃんとの未来が見えていたからかもしれない。

人生は、出会いと別れの繰り返しなのだという。
私もたくさんの人間関係を経験してきて、それを深く実感している。
昔は仲良くしていても、今どうしているのか分からない人もたくさんいる。
またいつか会えると分かっているからこそ、別れはそんなに寂しくないはずだ。