わたしはこの夏、約10年ぶり(?)に祖父母の家に行った。
本当は毎年顔を出しても良かったのだが、3つの理由で避けてきた。
1つめは子どもが苦手なこと。
前回顔を出したとき、従弟妹たちが生まれたばかりで、気まずい思いをしたから。
2つめは、祖父と折り合いが悪かった時期があり、あまり顔を合わせたくなかったから。
3つめは、母が義親を毛嫌いしており、わたし以外の家族は祖父母宅に行くので、わたしも帰省すると母が1人になるから。
母は「行ってきていいよ」と言うが、実際行くと機嫌を悪くするのと、不憫でもあったので残ることにしていた。

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たまたま今年実家を出て、たまたまお盆休みがない仕事を辞め、休みが手に入ったので、これは祖父母宅に行けという神の思し召しかなと思い、帰ることにした。

最後に会った時は赤ちゃんだったから、きっと従弟妹たちはわたしのことを覚えていないだろう。
わたしは仕事だと子ども好きのように振る舞えるが、実際は苦手。
人見知りされるかな、慣れてくれるかな、わたしは子どもが平気かな。
そして、祖父母や叔父たちと、違和感なく過ごせるだろうか。
そんな不安を抱えて帰ったが、完全に杞憂だった。

最寄駅まで迎えに来てくれた祖父母は、年の割に元気そうだった。
以前わたしを乗せてくれた車ではなく、わたしの知らない新しい車に乗っていた祖父は、死ぬまで免許返上はしないらしい。
帰ってお茶をしながら、お互い近況報告をした。
近況と言っても、久しぶりすぎて、早々話しきれるものでもない。

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そうこうするうちに、出かけていた従弟妹たちが帰ってきた。
わたしの半分ぐらいの背丈しかなかった従弟は、わたしの背を優に超えていた。
赤ちゃんだった従妹の人見知りは、すぐに終わった。
夕ご飯のバイキングを食べる頃にはわたしの隣に座り、「お姉ちゃん一緒に行こー!」と、とても可愛かった。
かけっこ、抱っこ、トランプ、なぞなぞ、ピアノ、腕相撲、探検、かくれんぼ……子どもの遊びは多種多彩。
スマホばかり見ている大人と違っていいな。
素直にそう思った。

次の日には、もう1人の従妹が帰ってきた。
この子も、最後に会ったときは赤ちゃんだった。
もっと人見知りをするかと思ったけれど、ママとわたしで「おいで~」と言ったら、パパのところに行きかけてやめ、わたしの膝に座った。とても可愛かった。

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わたしはもっと、子どもが苦手だと思っていた。
実際に、最後に従弟妹に会ったときはあまり近づかなかったし、他の親戚の子も苦手で極力会わないようにしている。
今夏、生まれてはじめて子どもって可愛いなと思った。
叔父が、「ずっと妹が欲しかった。じゅり(姪)が初めてできたそれに近い存在で、追いかけてくるのが可愛くて仕方なかった。血縁の子って本当可愛いんよ」と言っていたが、その意味がわかった気がした。

そして、「変わったな」と思った。
以前はもっと、集まり自体が堅苦しい雰囲気だった。
義理の叔父叔母たちが気を遣いすぎていて、居心地がよくなかった。
子どもたちが明るくしてくれたのか、大人が変わったのか、その両方かもしれない。
子どもだったわたしも、気を遣われていたのだと思う。
今はわたしが大人になり、子どもと遊ぶようになって、叔父叔母にしてもらっていたことを、従弟妹たちに返している。

以前、恩送りについてのエッセイ(「奢られることを頑なに拒んでいたわたし。『恩送り』で人生が豊かに」)を書いた。
もしかしたら、家族というのも1つの恩送りの形なのかもしれない。

久しぶりに出会った家族は、あたたかかった。
祖父母ももう、平均寿命が近い。
コロナ禍とはいえ、会えるうちに会っておかないと、いつか後悔するかもしれない。
日々感染者が増える中、みんなが元気で会えたことに、感謝したい。