先月、誕生日が来て26歳を迎えた。
3~4年前から付き纏ってくるSNSの「大切な家族が増えました」投稿がまた増えてくる時期が来た。
以前はうんざりと言った感情が湧いたが、最近ではすんなり応援する事ができるようになった事に心の成長を感じた。
物心つく頃から父はいなかった。彼氏をつくっていた母もいつしか…
そもそも、幸せな家庭のモデルを私は知らない。
物心つく頃から片親だった。「おやにはおとうさんとおかあさんがいるもの」だと知ったのも小学校に上がる年齢の頃だ。何故うちにはお父さんがいないんだろう?と思い始めるのがあまりに遅かった。
学童保育の友達に「なんでお前の家、父さんいないの?」と言われたのを機に母に聞いてみた。
母はため息をつきながら教えてくれた。結婚後にお金を使い込み、挙げ句の果てにパチンコ屋に私を置き去りにして帰ったのが離婚の原因だったという。
そのまま友達に話したらママ友経由で知れ渡ったようでひどく怒られた。あの時の母の歪んだ顔は一生忘れないだろう。
しばらくして母には彼氏が何人か出来た。私も込みで家に泊まっていくことや遊びに行く事が増えた。
しかし母の彼氏たちは「子どもがなぁ。。」と言いながら離れていく。母はその後命を絶ってしまった。
「私がいなければ」…頭の中でずっと呪いがかかっていた
引き取られた叔父の家族も「幸せそう」とは程遠かった。気が強く間違っている事が許せない叔母、母の言いなりになり居場所のない叔父、叔母に洗脳され「パパきらい」としか考えなくなってしまった幼い従兄弟。
叔母から「お前のせいでうちはめちゃくちゃだ。お前のせいで胃に穴が空いた」と罵られながら暮らしていても家族に良い印象は持てなかったし、叔父叔母の家庭と一緒に暮らすのもお互いに3ヶ月が限界だった。私は育てられないと言われて児童相談所に投げられた。
頭の中に私がいなければママは幸せだったのかな、全部私が悪いのかなという呪いがずっとかかっていた。
傷つけられたくない。だから、硬い殻で自分を守るけれど…
そんな訳で私の足には重たい足枷がある。
これを全て話して受け入れてくれる人なんていない、何かの役に立たないと生きていけないんじゃないか、そう思っていた。
それでも人とは関わらないと私自身が潰れてしまうから一定の心の壁をつくって関わることにした。私の中では心のATフィールドと勝手に呼んでいる。
ATフィールドの外側から裏切られる・攻撃されても痛くも痒くもないが、核の中に入って攻撃されると死にそうになるくらい痛い。昔、何回かできた彼氏にすぐ核を傷つけられて困った。立ち直るのに時間がかかるし、悩みなんてなさそうって普段言われているのにすぐ死にたくなってギャップに動揺してしまう。核に入れる人はごく僅かだった。
傷つきたくないから人を信用する事は難しいし、信用出来るのは自分だけだと長いこと思っている。
やがてヘラヘラしながら人と関わる事が増えてきた。
もう一度人を信じる。足枷の重さを少しずつ支えていけるように
しかし、久しぶりにこの核に入れる人間が現れた。
生まれて初めて「過去も、今のあなたも全部ひっくるめて好きでいるよ」と言われた、こんなに心強い存在はないなと思った。
もちろんこの関係が駄目になった時も生きていけるような最悪な状態も考えているけど、できる限りもう一度人の事を信じてみようと思えるようになった。
引きずっていた重たい足枷はいつのまにか軽く感じるようになっていた。
今では少しずつその重さを自分で支える事ができるようになってきている。
今の私は家庭を持って私の子どもが見てみたいという思いと、子供をストレスに耐え切れず傷つけてしまわないかという思いで半分半分だ。すぐは無理だろうけど、もしかしたら私にも「家族」を持つ事はすぐ側にあるのかもしれない。