高校3年生の夏、負ければ引退の試合で私たちは負けた。
試合終了の笛の合図と安堵の声をあげる相手チームに対し、私は隣の仲間と整列に向かった。

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振り返ってみれば、ハンドボール部はどこよりも厳しいと、自他ともに認める部活だった。夏はどこの部活よりも日に焼け、冬は先生お手製のナイター設備が設置され、他の部活が帰って暗くなっても練習していた。

学校行事の一つ、クロスカントリー大会では表彰される10位までのうち1位、3位、7位以外はハンドボール部が入賞した。これは、冬に誰よりも走っていたと自信を持てる要因になっていたし、全校生徒の前で表彰されるのは、恥ずかしかったけど誇らしかった。

学年行事の遠足も、解散となれば急いでグラウンドに帰り練習した。
修学旅行の日にも、自由時間に全員で集まって体幹ストレッチを行った。
そんな姿を他の部活の友達は「ハンド部はすごいね」「がんばれ」と言って応援してくれていた。褒められて照れくさい気持ちの中、もちろん当時は不満もいっぱいあった。

みんなが遠足終わりも遊んでいる中、帰るのは辛かったし、走りたくない日も泣き言を言いたくなる日もあった。けれど、みんな頑張っていてみんな極限状態、一人が不満をこぼせばみんなの口から次々と不満が雪崩てくるのが分かる。私たちは勝ちたかったから、頑張りたかったから、みんなの不満を煽るようなことはお互いにしなかった。
だから「頑張ろう」「もっとできる」という声が飛び交っていた。

これだけ「頑張った」「努力した」と言えることがこの先出てくるか、そう不安になるほど100%で出力していた。部員同士ぶつかり合う時も、青臭いと思うほど話し合い、互いの共通認識「勝ちたいから頑張る」を強めていった。

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その結果、最後の試合、負けてしまったけれど、今までで一番良かったと思える試合ができた。相手チームは何度か試合をしたことがあり、何十点も差をつけて負けていた相手。そんなチームに前半は1点差。試合終了時の点差は一桁台だった。

私たちは泣かなかった。
顧問やマネージャーはベンチで涙を堪えている。
後輩は涙を流していた。
けれど、引退する当の本人である私たちは泣かなかった。

どうして泣かなかったのか、それはすごく単純だけれど、楽しかったから。
200%の力を出せる試合はとても楽しくて、これまで以上にチームの息があったのも初めてで楽しかった。
少し良くない思考だけれど、圧勝するはずの私たちに点差を縮められ、焦る相手チームの顧問と、その焦りを感じて不安になる相手チームの人たちには、私達が健闘できていると実感させられ、更に良かった。

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私は正直、最後の試合は泣くものだと思っていた。それまでの努力や試合での悔しい思いに涙し、もっとできたはずだと思うものだと。
「力を出しきって負ける」なんてこともあってはならないと思っていたし、努力不足のようで絶対に勝てなければ嫌だと思っていた。私たちは全力を出す練習ではなくて、勝つための練習をしてきたのだから。

けれど、勝ちにいったから、泥臭くボールにしがみついたから、みんなの気持ちが一致し、最高の試合ができたのではないか。
負けたことが悔しくないわけがない。
もっとこの仲間とハンドボールをやりたいに決まっている。
そんなのは当たり前で、ただ楽しかったから、今は泣かない。

私たちはその日、みんなでゆっくり帰った。