「なんで泣いてないの!?悔しくないの!?」
中3の夏、部活仲間に泣きながら言われた言葉だ。周りがみんな泣いている中、私だけ泣かなかったあの日。私は悔しいという感情が、わかなかった。

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中学時代、本当に部活が嫌いだった。
元々管楽器がやりたくて吹奏楽部に入ったのに、なぜか打楽器担当になった私。その上、中学生相手にやたら偉そうな外部コーチ、何かあるとすぐ指揮棒を投げて部屋を出ていく顧問、気分屋で機嫌が悪いとすぐ当たってくる先輩。そんな人達と毎日を共にし、休日には朝から夜までずーっと一緒に合奏。特に夏休みはコンクールがあり、ピリピリした雰囲気の中で心がすり減っていった。

音楽は好きだったのに、吹奏楽のことはどんどん嫌いになっていく日々。楽しさなんて欠片もないのに、先輩が怖くて辞める勇気も出ない。大きな木琴の陰で先輩の引退までの月数を指折り数え、とりあえず先輩を怒らせないように、ただそれだけのために練習をしたり、おどけて機嫌をとったりした。

その結果、先輩に気に入られて2年の秋に副部長に任命された。それと同時に先輩が引退。「先輩たちを怒らせないように」という私の目標が消滅した。その頃には外部コーチも揉めて来なくなっていたので、怒る存在は顧問のみ。一気に心が楽になって、安心してしまった私は気の抜けた副部長になってしまった。
それなりに練習はするけれど、それまでとは人が違うような部活に対する向き合い方。同期から反感を買っているのも感じていたけれど、もう私は頑張れなかった。

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最後の夏のコンクール。県大会常連の私たちの学校は、地区大会で敗退した。正直、そりゃそうだよな、という内容だった。打楽器もあるタイミングでかなりズレた。当然の結果だ。
それでも、同期はみんな泣いていた。私だけ泣かなかった。私だけ冷めた目をしていた。冒頭のように叱責されても、泣かなかった。
泣いていないから悔しくない、という理論はあまり良くないような気もするが、実際他の子達に比べれば悔しくなかったんだと思う。それほどまでに私は部活が好きじゃなかったし、特に3年生ではあまり一生懸命になれなかった自覚があった。完全に不完全燃焼だったのだ。ただただ、他の同期と比べて頑張れなかった後ろめたさを、啜り泣く声の中で感じていた。

この中学の経験を通して、私って自分のこととなると手を抜いてしまうんだなぁ、と感じた私は中学卒業と同時に吹奏楽をキッパリと辞め、バスケ部のマネージャーになった。
マネージャーが足りないんだ、とプレイヤーの先輩がわざわざ1年のクラスまで来て勧誘してきたのがきっかけだった。それに何より、「誰かのため」なら頑張れるんじゃないか?と思ったからだった。

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マネージャーという特殊な立場ゆえ、色々と苦労することはたくさんあった。それでも、私は頑張りたかった。部活を引退する3年の夏に、やりきったなぁと思えたらいいな。そういう気持ちがあった。
ルールやスコアシートの書き方など覚えることも多かったけれど、部活自体はとても楽しく、先輩たちもとても優しかった。初めはなかなか馴染めなかった同期のプレイヤー達とも、自分たちが最高学年になる頃にはかなり仲良くなれていた。
気づけば、マネージャーを頑張る理由が「誰かのため」から、「みんなとやる部活が楽しいから」という「自分のため」に変わっていた。

最後の年、私たちは県ベスト16で敗退した。みんな泣いている中で、私も泣いた。悔しかった。もうみんなと部活ができなくなるんだと思うと寂しかった。その時、「あぁ、私、部活大好きだったんだなぁ」と感じた。
完全にやりきったのだ。もうあの中3の夏の日の、冷めた私はいなかった。

中学の頃の部活は、今思い出してもしんどい日々だったなと思う。それでも最後まで辞めなかった当時の私。不完全燃焼ではあれど、その先にマネージャーをやった高校での日々があって、今の私がいる。そう思うと、大嫌いだった部活も意味のあるものだったのかな、と感じる。
だから私は、あの日の泣かなかった私を、責めずに褒めてあげたい。「よく頑張った。お疲れ様」と。