私は、親戚の中で唯一の出来損ないだった。
皆は勉強が出来るのは当然のこととした上で、部活動や課外活動などで賞をもらうのが当たり前だった。私もクラスでは真ん中くらいの成績をとって、地域で真ん中くらいの高校、大学に進学したから、別に勉強が出来ないわけではなかったが、親戚中ではダントツの最下位。賞も大してもらったことがなかった。
同じ親から産まれた弟もあちら側。大学の偏差値で言えば、むしろ一番いいくらいになって、差を感じていた一方、どちらも出来損ないだったら親の面子を潰していたなと、弟に感謝していた。

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そんな私を悪く言う親戚が一人いた。その人は多分、大変な思いをして今の肩書きを手に入れ、それでもつらい思いをして、八つ当たりをしていたんだと思う。
しかし、物心つくかつかないかの子供に対し、ここで言うのも憚られるようなことを言っていた。私も少しは覚えている。最後に会ったのは大学生の頃だったが、その頃になっても顔を合わすたび、毎回何か言われている。
当時のあまりにもひどい物言いに、母が反論したら、その後その人は自殺未遂をしたらしい。止めたものの希死念慮が強く、鬱病も悪化した。放っておいたらいつどうなるかわからないからと、そちらの親戚は母に謝罪を要求した。祖父が間に入り、手紙での謝罪を提案。祖父も一筆入れることで、事なきを得た。私が小さい頃母が、カリカリしながら便箋に向かい合っていたのには、こういう理由があった。

それから、母と祖父母は協力して、親戚の集まりでは私を匿うようになる。母が中心になったそうだが、立場上動かなければならないことが多く、常には見ていられない。他の親戚からは、気にしすぎだと言われる。基本的には、祖父母で私を挟んで座り、目を光らせた。何かあれば、やんわりと祖母が言い返す。祖父はなんだかんだ、あちらの親戚にはいい顔をしていたいらしい。牽制しつつも、厳しくは当たらなかった。それは人として正しいように見えたが、私を大事にするなら、それはやはり違うだろうと思った。それでも人間皆、完璧ではないということか。

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祖母が亡くなってから、収まったはずの物言いがひどくなる。すると他の親戚たちが、なんとなくフォローしてくれるようになった。私を褒めてくれるのだが、「〇〇が上手」とかって褒め方で、有難い反面重荷になった。今思えば、「勉強はできないけど」という前提条件のある褒め方だった。褒めてもらっておいてなんだけど、他の褒め方でもよかったんじゃないのと思う。
母はもう、私の悪口に反応できなくなってしまった。脳が受け付けないんだろう。父が困っていたが、父は父で私への扱いを不当とは思っておらず、自分に似て頭が良くないから、言われるのも仕方ないと考えているようだった。そして何も覚えてないのか、「あの人は頭が良くて素晴らしい」と賞賛していた。
私は自分の記憶を疑い、母に質問をぶつけた。直接は言いにくかったので、第三者を間に挟んだ。すると少しずつ、先ほど説明したようなことを教えてくれた。
結局皆、私を見下していた。祖母と母以外、そういうもので人を判断して、私を下に見ていた。そして私は無意識に、自分自身をそう見ていた。私自身が私を、無価値だと思い込んでいた。

しかし祖母と母の他に、人をそのように判断しない人がもう一人いた。いつもその様子をただ眺めていた弟だ。
家では特に喋る事もなく、近くにいる事もないのだが、親戚の集まりの時は、いつも私の隣にいた。高校生と中学生の姉弟になってもぴったり隣に座るから、ちょっと嫌がったら、今度は少し離れて私の横に座るか、私の向かい側に座るようになった。何も言うことはないけど、いつも静かに座っていた。
不思議だなと思って彼氏に話したら、「弟くん、いつも気にかけてたんだよ。知らなかったの?」と言われた。気がついていないことに驚かれた。いつの間にか仲良くなって、そんな話をしていたらしい。

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そんな弟が最難関大学に合格した時のこと。それまでも何かと勉強は出来たり、部活で賞をとったりしていたのだが、周りの見る目が変わったのを私も感じた。弟自身は何も変わっていないのに、不思議なもんだと見ていた。
例の親戚が「高校は頭悪かったから、大学受からなきゃ終わりだったね」と言ってきた。何が終わりなのかはわからないけれど、確かに弟は、高校からぐんと偏差値を上げてきた。私より偏差値の高い高校に行ったけれど、その人から見れば低いという扱いだったのかもしれない。そんなことで判断するあたり、相変わらずだった。

さすがの弟も腰を浮かせたが、母が制してこう言った。
「娘の高校も息子の高校もいいところですよ。先生たちにもお友達にも良くしてもらいました。少なくとも、こんなことで人を判断する先生はいませんでしたよ。世の中頭がいいだけのしょうもないのは山ほどいますから、こんなことで調子に乗っちゃいけませんね。うちのもまだまだこれからですけど、うちのは頭がいいだけのしょうもないのにはならないよう、しっかり育てます」
横で弟が頷いていた。

あまりの衝撃に、言っていたことはほとんどそのまま覚えている。もうちょっと長かったかもしれないし、とにかくしょうもないを連発していた。これを笑顔で言い放ち、すくっと立ち上がると、そのまますたすた歩いて行く母は、途中周りに人がいなくなったところでくるりと私たちの方を振り返り、「別にあんたたちのことは、どっちもしょうもないと思ってないから」と言うのに私たちはほぼ同時に頷いた。
そしてそのまま、父を置いて帰宅した。

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すっきりした。ただ当たり前のことを当たり前に言う人間が、あそこにはいなかったから。あまりの敵の多さに、私もうっかり折れてそこに染まるところだった。危なかった。
でも、これからもこういう人たちとは戦っていかなきゃならない。嫌味を言えってことじゃない。圧倒的大多数のあちらに対し、流されず折れない心を持っていることだ。

今の世の中には、ここまで言わないまでも、こんな考え方をする人は多い。非常に多い。でも、少なくともこの4人はそうじゃない。だったらそれでいいじゃない。
ああいうのは、関わらないほうがいいし、深く考えるのも得策じゃない。平々凡々気ままに生きよう。あんな窮屈な土俵に立つ必要は全くない。