大学でジェンダーという言葉が出ない授業はない。どんな学問であっても、この宛先はどこにあるのか、傷つく人はいないかを強く意識するのは当たり前のことである。
一方で、ジェンダーを強く意識し過ぎることで、生きづらさを感じるという声もよく聞く。理工学部の学生の「私は女性でいることで少なからず恩恵を受けている」という認識。バリバリに稼いでいる女性の友人の「会席で『セクハラ』という単語を出すほど空気が読めないことはない」という経済の内側の意見。
ジェンダーの重要性を教育現場で話し続けることも、会社内で暗黙の了承をキープし続けることも両方現実。同じ女性であっても全員同じ意見を持っているとは限らないのが2022年の日本である。
シスターフッドは「女性同士の連帯」という意味だが、女性の敵は男性と単純に公式化できない。そもそもこの対立構造が正しいとも思わない。敵がいるから争いが起こるため、性で二部化することに潜在的な脅威性を感じるべきだし、女性同士でも統一した認識を持っていない。正直、日本の中でシスターフッドを感じることはあまりないのが個人的な意見だ。
「女性の性はカネになる」と当人が思っていると感じることの方が多い。どうしてなかなか日本には浸透しないのか、そんなことを考えさせられる出来事が最近起こった。
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数ヶ月ぶりに大学時代の友人とディナーをする機会があった。
話は彼女の親友の話になった。その親友は私もSNSで度々顔を見ていたため、直ぐにイメージが湧いた。大きな目に色白、誰が見ても可愛いと思う外見をしている。そして自分のルックスに関して、その子もかなり良いと認識しているようだった。
しかし、その可愛い彼女は彼氏がなかなかできないのが悩みらしく、口癖は「彼氏欲しい」だそうだ。一見おかしな話に聞こえるが、話を聞いて分かった。
どうやら彼女は言い寄られても、「私レベルと釣り合うと思って話しかけてきてるの?」と清々しい程に強気らしい。個人的には、自分を大切にしている、しっかり好みがあって妥協をしないその勢いは好きだ。「私なんか……」と後ろ向きな気持ちを抱いているよりもかっこいいし、是非そのスタイルを突き通してほしいと思う。
ここまでは頷きながら聞けていたのだが、ここからよく分からなくなった。なぜなら、その可愛い彼女は、女性にもレベルはあるが、女性の最終的な価値は隣にいる男性にかかっているという意見だったからだ。それは言い換えるのなら、男性の価値がそのまま女性の価値に代替されてしまうということ。
真っ直ぐ自分は価値のある人間だと思っているのに、男性の隣に立った瞬間に男性の影に隠れてしまうってなんとも悲しい。なぜ、彼女はどこまでいっても、女性だって独立した存在だと信じきれないのだろうか。
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きっとその気持ちを紐解くヒントは、女性内の分断にあるのではないだろうか。
シスターフッドを感じられない女性間には、いつだって男性の影がちらつく。その影はあまりにもドス黒くて、大きくて、隣に立つとどんな女性でも隠れてしまう気がする。
でもね、影って、光があれば必ずできるもの。その原理を私たちは教えてもらっていないし、説明されても、その影の質だとか大きさだとかに論点を変えてしまっている。
向き合うべきは影の存在ではなくて、光がどこから差しているのか見極めること。私たち、女性だってその光の当たる場所に移動して、男性の影に隠れないことができるはず。
どちらが日陰に行くかではなくて、みんなが場所を譲り合って、日向に立つことができるんだって知らなければならない。それは対立ではなくて共存。たとえ、最初から日当たりの良い場所に立っている男性が親切に教えてくれなくても、なんとかその場所に辿り着いた女性同士が伝え合えばいいんじゃないかな。「ここなら日向に当たるよ」って。
そしてそれがシスターフッドで、対立のない世界を作る大切な原理になる気がする。
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あの可愛い彼女の話を聞いた夜、私は友人にそんな話をした。その友人が彼女に橋渡しをしてくれるかは分からないが、少なくとも私たちはサワーを飲みながら「自分の好きなことをし続けよう」って笑い合えた。
大きな動きができないのは、私自身が日向に立っていると思えていないからかもしれない。それでも、影ができる原理を知っているのなら、悩んでいる人には説明できるくらいでいたいと強く思っている。
小さな動きだけれど、みんなが光を浴びる世界に繋がればいいなと願って止まない。