彼女は現在(いま)を生きる。私は過去と未来を生きる。
彼女の名前は千夏と言った。彼女は私の竹馬の友だ。彼女との出会いは24年前の冬、私たちの街で一番大きな公園にあるいくつもの遊具が組み合わさった遊び場の、オレンジ色の橋でのことであった。私がその橋を渡ろうとしていたとき、向かいから幼稚園の同級生だった彼女がその橋を渡ってきた。

まだ世界が家と近所と幼稚園しかなかったその頃、私は世界で何番目かに彼女のことが嫌いであった。同じバスでの通園時、彼女はそのバスに乗る同級生で唯一違うクラスだからと私を仲間はずれにしてきた。だから、今回もどう対応しようか幼いながらに迷ったのを覚えている。

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数歩下がって彼女と同じ地に着き、無視は良くないと無表情で、
「千夏ちゃん」
と、声をかけた。するとこれまでの行いが嘘であったかのように優しく頷いた。嬉しくなった私は、
「一緒に遊ぼう」
と彼女を誘い、それから私たちは親友になった。

幸いにも彼女は数少ない同じ小学校に進学する仲間であり、その関係は入学後も続いた。そこで低学年の時にお世話になった担任の先生。私たちは出会ってから9年間交流を重ね、15年の時を経て今春再び結ばれることとなった。

私は他の児童と較べて発達が遅かった。チャイムが鳴っても一人ブランコに乗り続け、縄跳びが壊れたら掃除をサボって雨の中、その縄跳びをいじくり回す。
最初のうちは彼女も付き添い、一緒に怒られていた。回数を重ねるごとにその行いは一人でするものになったが、行事の時も休み時間もいつも隣には彼女がいた。

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心が優しく、人付き合いが上手だった彼女は年を重ねるにつれて他の友人とも交流するようになり、その間私は一人で行動するようになっていった。
それでも彼女は教師からの「好きなお友達は?」という質問に対して、私と回答していた。

小学校卒業を間近にして、一つの事件が起こった。
彼女と同居していた障害のあるおじさんが、いきなり彼女やその姉妹に暴力を振るった。彼女の家族は隣町にある母の実家へ非難し、小学校はそこからの通学となった。そして、彼女が泣きながら登校していたある日、地元の小学校には進学できないことが決まった。

しかし、それほど寂しいとは思わなかった。これまでがそうであったように、中学生になっても彼女にばかり友達が増える。一層のこと違う中学にいて時々遊ぶ距離感の方がいいじゃないかとその頃は思った。

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中学生になっても、私たちは親友だった。時々恩師を訪ねては近況を報告し合った。高校生になると互いに忙しく会うことはなくなり、遂には彼女と連絡がつかなくなった。そして高校卒業からしばらくして、彼女は元気な男の子を出産し、千葉へ嫁いだ。

時代がメールからSNSへと変容し、互いに多種類のSNSを使いこなすようになったが、相変わらず連絡はつかなかった。小学校の同級生とは繋がっているのに、私には断固としてフォローさせてくれない。
高校を卒業する頃に電話したのが最後だが、特にひどい仕打ちはしてない。この時初めて寂しいという感情に陥った。小学生の頃には全く沸かなかった感情が、一気にこみ上げてきた。私たちは、もうこのまま一生会えないのか。

その後、彼女がインスタの鍵を解き、電話番号を公開したことによって11年ぶりに会話をすることができた。

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彼女は3人の子どもを出産し、子育てに追われる日々を過ごしていた。自営業の跡取りの妻として、発言権のないまま密かに主婦をしていたものの、相手の不倫とDVによってこっちに戻ってきたらしい。彼女は今、子どものために、仕事を掛け持ちしているところである。

現在を生きるのに必死な様が伺えた。
片や研究を仕上げる夢のために27歳まで学生を続け、働かず三昧の日々を送ってきたというのに、私は友人の助けになることができなかった。そんな罪悪感が私の心を打ち砕いた。電話では、15年前を最後にお会いできていない恩師の下へ遊びに行く約束をした。

今年の5月、15年ぶりに恩師と3人で会うことができた。恩師はお茶菓子を用意して下さったが、その中には私の好物であるリンツリンドールのチョコレートが含まれていた。
「あゆみちゃん、このお菓子好きそうだなと思って」
もう大分お会いしていないのに、教わっていたのは20年以上も前のことなのに、恩師は私の好みを覚えていた。

「甘い物とかわいい物が好きそうなイメージ」
続いて彼女もドンピシャだ。
「二人とも、タイプは全然違うんだけどね」
この時思った。私たちはたとえ離ればなれになっても、ずっとつながり続けていたのだ。久しぶりの再会は、互いの絆を確認できた一時であった。

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私が現在こうして役所で電卓を叩いていられるのも、彼女たちとの思い出が詰まった過去と、未だに捨てることのできない作家と公職の両立という未来の夢によるところが大きい。地に足を付けず、未来への空想が私の原動力を後押ししている、そんな人生である気がする。

親友とは相反した人生であるが、互いに認めつつ恩師に見守られつつ生を繋いできた。これからも、そんな関係が続けばいいなと思っている。