「Aちゃんはかわいそうだよね」
ある日、弟がぽつりと言った。「本当にかわいそう」と何度も言っていた。
家族ぐるみで仲の良い子に、弟と同い年の女の子がいる。その子がAちゃんだ。
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Aちゃんは昔から努力家で、頭が良くて、趣味にも打ち込んでいて、活動的だった。有名大学に進学後は、都会で結構大きい会社で働いていた。
こんな順風満帆な人生を歩むAちゃんをかわいそうだと言ったのは、嫉妬ではないことは明らかだった。逆に弟がいろいろとAちゃんから嫉妬を受けていて、弟はそれを柳に風と受け流していたからだ。
負けず嫌いのAちゃんからしたら、同い年の弟は目の上のコブだったに違いない。実際弟はかなり努力しているのだが、そんなことは周りには少しも見せず、涼しい顔をしている。それは多分、弟が好きなことにしか打ち込まないタイプだからだろう。あのくらいのことは、苦労でもなんでもないんだ。
Aちゃんは「何もしないでいることができない」と言い、常に忙しくしていた。負けられないストレスからか、精神的なものからくる不調で体調を崩しがちだった。
それはただの負けず嫌いで、まぁかわいそうといえば、頑張りすぎてしまうことと、周りが皆揃って優秀だから、追いつかないとと思ってしまうことかなぁくらいにしか考えていなかった。好きでもないことを必死にやっているからかなとも思った。しかしそうではなかったのではないかと、今更思い至った。
最近Aちゃんの家族と話した時に、何か違和感があったのだ。その場ではあまり考えずに流したが、違和感はしばらくしこりになって残った。
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だんだんそれが解されていったのは、結局皆、私のことなんて見下してただけなんだと知った時だ。
親戚中で一人だけ勉強が苦手でやる気もなかった私は、ほとんどの親戚に見下されていた。馬鹿正直に私のことを「かわいそう」と言う人は一人だけで、皆表向きはいい人たちだが、こちらのことなんて何も考えちゃいない。あれが見下していただけなら、それもこれも下に見ていたにすぎない。じゃあAちゃんの家族も皆、私のことを下に見ていたんだなとわかって腑に落ちた。
Aちゃんは家族に見下されまいと必死だったんだ。あの強がりも虚勢も全部、家族に認められるため。そうまでしなければ認められず、頑張りすぎて体調まで崩すAちゃんは、確かにかわいそうだ。
私は容姿で得をしてきた方だと思う。あまりそれにだけ頼りたくはなかったし、それ頼みだとロクでもないのが寄り付いてくるばかりだとも知ったけど、弟は私には似なかった。昔言われた弟の「くじらばっかりずるい」は、このこともあっての発言だったと思う。
しかし母は「息子(私から見た弟)のこともかわいい」と言っていた。話の流れからして、世間一般には私の方がかわいいと言われる顔なのはわかっているが、それでも尚息子がかわいくて、見た目もかわいく見えるという意味だと思う。別に私も弟の顔を悪いとは思わない。割といいやつだし、あいつはあいつでいいじゃんと思っている。多分お互いそんな感じだ。
同性だったら、もう少しこの話は複雑になったかもしれないけれど、私たちはまぁまぁうまくやっているし、何もなくても愛されることを知っている。そのことを知らないAちゃんが、とてもとても不憫だった。
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Aちゃんは同性だからか、私にも多少の対抗意識をぶつけてきた。しかし基本的には見下しているなというのがこの子はわかりやすかったので、私は相手にしていなかった。年下なこともあり、はいはいそうですねと持ち上げていなしていた。
気がつかないAちゃんも滑稽だが、世の中の大半がこれなんじゃないかと思っている。程度が違うだけの話だ。
なんだかんだ私は、Aちゃんをすごいと思う。他の人よりストレスが高かったのかもしれないが、それでもなんでもここまで努力するなんて普通はできない。それは素晴らしいことだ。まぁ、それ以上の評価はしないけどね。
質素な暮らしを悪く言う知人も多分、Aちゃんと同じだ。「私たちは認められるためにこんなに仕事を頑張っているのに、楽をしていてずるい」ということだろう。楽しそうに語れば語るほど彼女らを怒らせるので、多分そういうことだ。
「はいはい、頑張ってるね。偉いね偉いね」って言って、持ち上げといてあげようか。正直バカだなーって思ってる。でもそれを指摘したら面倒だから言わない。出さない。そっと離れる。本当バカだよねって、本当に親しい人にこっそりとしか言わない。
それが大人ってやつで、どうでもいい人に対する態度ってやつだ。