中学生の頃に出会った恩師がいた。
歳はひと回りほど離れている。性別も違う。
わたしは所謂、彼の“教え子”であった。

価値観や考え方がわたしとはかなり違っていた。
だからこそ、衝突があり、癪に触ることもあり、大人気なく怒ってしまうこともあった。
それでも彼と話すことが好きで、楽しくて、なによりも彼自身を慕っていた。
それだけ尊敬していて、信頼していたから、これまで関わりが途絶えることはなかった。
だが、その信頼は全て壊されてしまう。

中学生のころの恩師。大学生のときに「家おいでよ!」と言われた

それまでは定期的に会っていた。
もちろん、お店で、だが。
それが、わたしが大学4年のとき、就職活動に勤しむあまり、いつまでも会うことができないでいた。
やっと就職活動を終え、地元に帰ることが叶ったため、一報を入れた。
やっと会えるね!なんて話して。
彼は肩書き付きの会社員であり、あまり早い時間には仕事は終わらない。
わたしは帰省ということもあり、かなり時間の自由が利いた。
「じゃあ、家おいでよ!」
今となっては、ここで断れば良かったと、心底後悔している。

一度立ち止まって考えてみれば、成人男性一人暮らしの家に、成人女性がやすやすとあがってしまうこと自体、あまりにも愚かな行為である。
ただ、その相手が、わたしが中学生の頃から、その成長をずっと支えてくれていた、家族に程近い距離感で、絶大な信頼を置いていた相手だったことや、やっと会えるという念願が、その愚行を許してしまった。
さらに、そんな信頼も尊敬も、わたしだけが抱いていたと思い知った。それはもう少し後の話であるが。
彼は、少しのお酒とつまみを買ってきてくれていた。最初の違和感はそこだった。
お泊まり用のスキンケアセットも購入していたのだ。

わたしは、1、2時間飲んで喋って当たり前に帰るつもりだったので、「なぜ?」という疑問しか湧かなかった。
また、それを言葉にした。その返答は見事に濁されて、曖昧に溶けていった。
今思えば、泊まらせる気満々だったよね、と思う。
部屋に入ってからは、飲んで、喋って、なんともない時間が過ぎた。
初めは、お互いの近況報告なんかをして。懐かしい話もして。話題が尽きてきた頃にやってくるのが、恋愛話であった。

会話はおかしな方向へ。足の裏へのボディータッチ。危険を感じた

彼は、長く付き合っている彼女がいるのだ(この時点で、2人きりで密室にいるというのも、甚だおかしい話だが、わたしにとっては恩師でしかなく、全くもって悪気はなかったのである)。
「結婚しないんですか」
「しないねえ」
「どうしてしないんですか」
違和感などまるでない会話、だと思ったのは、わたしだけだろうか。
この後からおかしな方向へ話が進んでしまった。

「だって、セナみたいな子じゃないからさ」
「セナみたいに目標に向かってひたむきに努力するわけでもないし」
「セナみたいに頭がいいわけでもないし」
あれ、どうしてわたしが引き合いに出されているのだろう?どうしてわたしを持ち上げるような言い方なんだろう?
まるで、彼女じゃなくてわたしがいいのに、とでも言いたげな。
違和感は恐怖に変わった。
この話題を続けてはいけない、と直感し、即座に話題を変えた。

その後もおかしくて、座る位置がだんだんわたしの方に近寄ってきていた(ローテーブルを囲んで床に座っていた)。
違和感を覚えて徐々に離れると、「え、なんか避けてる?」と言われる始末。
宴もたけなわ、時間や話題を持て余し、足の裏の魚の目をいじっていた。
それなに?と尋ねられる。
魚の目だ、と答えると、断りも入れずに触って来たのである。
本当に気持ちが悪過ぎて血の気が引いた。
というか、ワンチャン狙っている人間に対して、ファーストボディタッチに足の裏の魚の目をチョイスするセンス、まじで気持ち悪い。

心から危険を感じた。
そろそろお暇しようかな、と告げた。
明日も仕事ですよね?と言えば帰る流れになるだろうと思ったのだ。
しかし、1日くらい休んだって問題ない、と言って聞かなかった。
何度も押し問答して、やっと根負けしてくれた。それでもすぐに帰ることはできず、俺のコップが空になってからという条件付きであった。
ここも、今思えば、わたしと一夜を共にして、朝ゆっくりしようと言いたかったのではないかと思えておぞましい。
そして、「帰る」ことが決定した途端、彼は全くお酒を飲まなくなった。帰したくないアピールだろうか。やめてくれ。

そして、わたしが一口、グラスの水を飲んだ時である。彼は、そのコップを手に取り、わたしの許可なく飲み始めた。
え、なにしてるんですか?あなたのグラス、あるでしょう?という戸惑いも問いも、「水が1番うまいんだ」と、謎に濁されて、ここでやっと確信した。
こいつ、帰す気ないな。

タクシーが来るまでの15分が怖かった。信じていたのに

「もう、帰ります」
そうして、タクシー会社に片っ端から電話した。週初め平日深夜。捕まらないことは予想していた。
やっと捕まったのが3件目。
その間も、「え、まじ?」「本気で言ってる?」「本当に帰るの?」と、帰さない感をずっと出していた。
15分くらいかかる、ということだった。
その15分が1番怖かった。
彼にとってはこの15分が最後のチャンスだからである。
15分だったら、最悪ワンチャンある。
彼は、身長も高くない。かなり痩せている。
そうであっても男性である。力では絶対に勝てない自信があった。無理矢理にでも押し倒されたら、確実に逃げられない。
その15分、ずっと怖かった。
そしてそれを悟られないように必死だった。
結果は、無事帰ることができた。良かった。怖かった。
もうこれは、家にあがったわたしが悪い。2人っきりの密室を許したわたしが悪い。

信じていたのになあ。
いつからわたしのことを下心で見ていたの?
知りたくなかった。心から。
否、ここで知れてよかったのだろうか。
何事もなく縁を切れてよかったのだろうか。
もう、一切の連絡も取っていない。相手からも何の音沙汰もない。結局彼にとってはそれだけの存在だった、ということなのだろう。
そして彼は、わたしの後輩でもある、彼の教え子と結婚した。