14歳。中学2年生の頃、起立性調節障害の症状と対人関係へのストレスが爆発して、不登校になることを選んだ。
趣味は写真。撮るのも撮られるのも好きだった。当時、被写体募集をしていた知人にお願いしてポートレートを撮ってもらったことをきっかけに、私は被写体活動を始めた。
自分の容姿に自信があったわけではない。むしろ醜形恐怖症を抱えていた私は、マスクをして俯いていなければ外に出れないような時期も経験している。
「カメラの前にいる時だけは呼吸ができる」。言うなれば、そんな感覚だったのだ。
抱えきれない重苦しい感情を、表情に出せる場所。カメラを睨み付けた視線は、あの頃自分を取り巻いていた世界や社会に向けたかったものなのだと、今では思う。
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中学3年生になった私は、被写体活動を通して外に出たり人と交流したりすることを、学校へ行くことの代替活動にしていた。
当時の私にとって、本格的に被写体活動へ取り組むきっかけになった初夏、5月。知り合いのフォトグラファーさんが、海辺で撮影会を行うと言う。私は勇気を振り絞って、参加の意思表明をDMで送信した。
その希望は快く受け入れられ、いざ当日を迎える。私を待っていたのはだだっ広い海岸と、見知らぬ複数人の高校生、カメラを構えた大人たち。中には本格的なモデル活動をしているような方もいた。当時は大いに気にしていたSNSのフォロワー数も桁違いである。
その場での私はただの中学3年生。何も持っていない少女。瞬時に圧倒された私は、完全に縮こまってしまった。
場の雰囲気に圧倒されたまま、撮影は進む。自己主張が出来なければいないのと同然。私は内心、「自分だけが場違いだ」と諦めかけてしまっていた。
そんな時、私に話しかけてくれた3人の大人がいた。といっても、うち2人は当時高校3年生。彼らは私の年齢を気にすることもなく、むしろ私の緊張を汲み取ってフランクに接してくれたのだ。
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笑顔で話しかけてくれた彼らに、私も挨拶をする。緊張したけれど、とても嬉しかった。写真が好きだという気持ちを通して、つながってくれた人たち。“写真を撮られにきた人”として対等に私を眼差してくれた彼らは、とてもきらきらしていた。
私は初めて、心の底からついていきたい、素敵だと思える人間に出会った。
その3人のおかげで私もどうにか撮影会に参加することができ、その時の写真は今でもカメラロールに残っている。
あどけなくて不完全で、今見たら恥ずかしくなる、幼い私。その横に凛と立ってくれた彼ら。私を映してくれたあの人。
あの撮影会へと踏み出した私、そして私に話しかけてくれた彼ら、彼らと言葉を交わした私。そこに存在したすべての勇気がつながって、私は今も、あの日の経験を糧に生きている。
やりたいことはやりたいと口に出すこと、言葉にすること。見知らぬ誰かと言葉を交わし、心通わせること。好きという気持ちは、時に人と人をつなげてくれること。勇気を振り絞って夢を語った時、その夢と自分の間にある距離はぐっと縮まること。
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だだっ広い海岸、不安と緊張でいっぱいだった私は、彼らと出会って、たくさんの自分をみつけた。
今こうして過去を振り返り言葉にする自分は、確かにあの日から地続きであるということを、つよく実感する。
必死にもがいて足掻いて生きていた私。出会ってくれた人と私の間にあるつながり。時を経て環境や好きなものが変わっても褪せない軌跡だ、と思う。
どんどん大人になってゆくけれど、あの時感じた眩さは、握りしめたままでいたい。そしてあの日の悔しさや不甲斐なさは、忘れたくない原動力だ。私は今も、14歳の自分に、そしてあの日出会ってくれた彼らに、心の底から感謝している。
ありがとう。あの日の勇気は、それからを生きてきた、そしてこれからも生きていく私の勇気の源です。
14歳、カメラと海と未知との邂逅。忘れられない、勇気の思い出。