わたしは読書が好きで、小説を通して自分自身や社会を見つめることが好き。
そうすると有識者の書評は気になるし、数々の文学賞はチェックしたくなる。
この夏発表のあった第167回芥川賞を通して、「シスターフッド」という言葉をかなりよく聞いた気がする。

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シスターフッドってなんだろう。
女性同士の連携。
相手が男の人か女の人か、わたしもみんなもどうしてそんなに気にするんだろう。

自分のことを、とても内気なタイプだと思う。
人とわちゃわちゃするよりも、部屋で1人で何か楽しんでいるタイプ。
小説を読んだりペットと遊んだり。
ペットちゃんに対して自分を「ママ」や「お姉ちゃん」という家庭もわが家だけではないかもしれない。
コロナでなくても人との予定はほとんどなかったわたしは、数年に及ぶこのコロナ禍で何回、人と出掛けて食事をしただろう。両手指はきっと余る。
会わない選択に相手の性別は関係なかった。

シスターフッドはものすごく若い言葉のような気がするけれど。
彼氏(恋人)か友達かとか、男女の友情は成り立つのかとか、そんな話をわたしたち人類は何年してきただろう。
女の子同士でないとできない話もある。
お母さんやお姉ちゃん、妹としか得ることのできないくつろぎもある。
それと同様なものは男性との仲にもきっとあると思うのに。

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若い頃、教室の中で生活していた時代、同性との方がのびのびしている子と、異性との方がのびのびしている子とがいた。1人自分の席で何かを楽しんでいる子だっていた。漫画を描いたり携帯をいじったり。
自分の息のしやすい場所は成長と共に変化するものだろうか。わからない。
もし変化しないとしたら、同性の女の子友達と教室で過ごしていたわたしはシスターフッドに救済されるタイプの人なのかもしれない。

男女を隔てない考え方が大切だと理解したい。
多様性を、一人ひとりを認めたい。
けれどわたしの中には、男女的に違っているものはあるよね、という考えもずっと生きている。
一般的に男の人の方がわたしより力があって体力があると思う。
社会で生きていく精神のつくりがなされていると思う。
わたしは例えば専業主婦になり、家事に育児に毎日自宅缶詰になったとしても、さほどしんどく思わないと思う。
もともとあるはずの男女の違いと、男女の関係性に生き方に多様化を求める考え方と。
ふたつが、わたしの中にまだうまく共存できていないのだと思う。

人見知りには、人で癒せないタイプのものがある。
シスターフッド、女性間の繋がりよりも例えば小説フッド?作家読者間の繋がりや互助性はわたしには欠かせないもの。
男性同士、女性同士が絶対的に素敵なのではなくて、それぞれの種類なのだと思う。

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わたしは小説内の男の友情にとても惹かれる。いいなあと思う。男の子に生まれ変わったらこんな男友達が欲しいなと思う。
シスターフッドの、フェミニズムの、男性版に当たる言葉はどこにあるのか。
わたしが聞いたことがないだけなのか。

超有名な赤い帽子と青い帽子のブラザーズは本当に兄弟なのかなとふと思う。
マリオとルイージは親友でもいいんじゃないかと。
どちらだってシスターフッドの男性版、言わばブラザーフッドの代表格ではないか。

世の中でヒットするストーリーの登場人物たちができるだけたくさんの関係性を築いていく世界でありますように。
苦しい時に手を伸ばす先が、同性でも異性でも小説でもペットでも、みんなが幸せになれる世界でありますように。
わたしたちの癒しの先がずっと失われませんように。
そうしたらもう宛先はなんだっていいじゃないか。乱暴だけど。