28歳、現在の私の夢は花嫁になることだ。ウェディングドレスを着て、両親や友達たちに囲まれ祝福され結婚式を挙げてみたい。今まで出席した結婚式は4回。新郎新婦として隣り合うのはいずれも男女。
それがもし私の隣で微笑む結婚相手が同性の女性だとしたら?
両親は、友達は、祝福してくれるのだろうか。
「私、女の子が好きかもしれない」。場が固まった
そう思うきっかけになったのは高校2年生の出来事である。先輩たちが卒業して占領できるようになった吹奏楽部室で。部活終了後、夕焼けが眩しかったことを覚えている。
そこで同級生、5人の女子と1人の男子。恋愛の話になった。
「あの子は○○君と付き合っている」
「実は私、○○君が好きなんだ」
皆頷いたり、キャーッと興奮した声をあげたり、詳細を聞こうと促したり、皆、好意的に会話を進めている。
そこで私は思いきって「私、女の子が好きかもしれない」と平静を装い言った。場が固まった。そしてリーダー格の女子同級生が言った。
「それって、気持ち悪い」
シャボン玉のように膨らんでいた恋心はパチンと破けた。
仲良くしている部活の皆は理解を示してくれると思っていた。とてもショックだった。
目でその人を追ってしまう。他の人と仲良くしていたら嫉妬する。女子の私が同性を好きになるのはおかしいのかもしれない。もしかしたら憧れとの勘違いかもしれない。葛藤はあった。
でも恋だとしたら、その感情を育てていくのも素敵かもしれない。そう思っていた矢先だった。
思春期の私たちにとって自然と立場の強い人の言葉に同調してしまうのはよくあることだ。おそらく恋心だったものはだんだんと友情となった。それ以来、臆病になってしまったのか、同性を恋愛的に好きになることはない。
ただ「そうなんだ」と理解されたかった
この一年間で、4人の知人から性のカミングアウトを受けた。同性だけが好きな(レズビアン)女友達、両性を好きになれる(バイセクシュアル)女友達たち。それに男性同士でパートナーシップを結ぶ報告も受けた。
カミングアウトを受けたとき、私は高校2年生の時に同性の女子が好きだった話をする。すると話し相手は安心した顔をして、せき止められたものがなくなったかのように、土石流のように、またはぽつりぽつりと好きな人の話をする。
それは、いわゆる普通の男女の恋愛と何の変わりもない。
変わりがあるとするならば、性的少数者(LGBTQ)の恋愛を見る周りの差別の目だ。
現在、高校2年生の夕暮れの部室で自身の性に悩んでいた私が欲しかった言葉は何だったのだろうと考える。
それは「そうなんだ」というたった一言だったのだと思う。
理解されたかった。ここでいう理解というのは人の気持ちや立場が分かることだと考えていて、必ずしも考えを受け入れなくてもいいと私は思っている。その人の気持ちや立場が分かれば、差別をしたり、傷つく言葉を投げたりはしないと思うからだ。
当時、私に「気持ち悪い」と言った彼女は、同性を好きになることがあることを知らなかっただけなのかもしれないと今なら思う。
知らないことは恐怖だ。それを気持ち悪いと表現したのだろう。ラルフ・ウォルドー・エマーソンという19世紀アメリカの思想家も『恐怖は常に無知から生じる』と説いている。
それに私が高校生だった約10年前は、性的少数者といえば、男性の同性愛者(女装家を含む)をメディアではオカマと呼び、彼女(彼)らは奇抜な格好をし、常にいじられている摩訶不思議な存在であった。
世の中は性的少数者を侮っていいのだとそれで判断したのかもしれない。きっと彼女もその一人だったのだ。
多様な性への理解を。まずは知った上で判断してほしい
それから約10年の時が経ち、知人たちがカミングアウトできる環境になったのは多様な性があると学び理解する学校教育が行われたり、メディアが性的少数者の悩みや生き方をありのままを報道するようになったりした変化だと思う。
それでも、いまだに性的少数者がカミングアウトをすることは少ないと感じる。それはまだ「無知」な人が多いからだ。知ること(ここでは正しい知識を得ることと定義する)は、理解を深める土台となる。知った上で理解し、それでも「気持ち悪い」と感じるなら仕方がない。多様な考えを強制することはできない。だが、高校2年生だった私のように傷つく人は少なくなるのではないか。
私が性的少数者への差別を受けることのある世の中を変えるなら、性的少数者について正しい知識を拡散し、理解する姿勢を求め続けることが重要だと考える。
最後に言いたい。男性主体な社会かもしれないが医者になりたい、弁護士になりたいという職業選択の自由は今、女性が当たり前に叶えられる夢でその立場は認められている。花嫁になりたいというのも立派な夢だ。
その相手が同性でも異性でも、それは変わらず理解され祝福される世の中あってほしいと私は強く願う。