私たちの命はあまりにも他人事すぎる。
誰かが息を引き取った時、私たちは何をしているのだろうか。
たとえ、どこかで誰かの命の灯火が消えても、私たちにはわからないことだ。
命が消える時くらい、私たちは何かを感じ取れたらいいのに。

そう考えながら、一つの命がこの世から消えることが何を意味するかわからなかった私を思い出した。

◎          ◎

私が9歳の時、私の伯父は47歳という若さでこの世を去った。
伯父は、私の母の兄で祖母と二人暮らしをしていた。職業はエンジニア。共働きの私たちの両親の代わりに、彼は祖母と一緒に私たちの面倒をみてくれていた。私の大好きな自慢の自慢の「おじちゃん」。
しかし、彼は亡くなる数年前に体調を崩して以来、入退院を繰り返していた。
私も祖母と一緒に病院へお見舞いに通っていたが、祖母も母も私に伯父の病名を告げることはなかった。そして、夏の終わりに彼は足早に逝った。

伯父の亡骸をみた時、見たことないほど大人しい彼の姿に背筋が凍った。何か悪夢の中にいるような。涙が私の頬を伝ってはじめて、私は泣いていることに気づいた。

信じられない、信じたくない。

「死」が何を意味するのか、「一生、会えない」とわかっていながら一生の長さを、その時の私には理解できていなかった。数日後には、またいつものように「よっ!」と言って、玄関のドアを開けて帰ってくるような気がしていた。

お葬式の花入の儀。祖母は私に言う。
「人を見送るとは、こういうことなんだよ。たくさんお花を入れてあげなさい」
私は恐る恐る棺に近づき、彼の顔を覗き込んでお花を入れた。
彼はとても美しく穏やかな顔をしていた。私たちとは違う世界に彼が旅立っていくのだと認めざる負えない程に美しかった。そう、私の大好きな叔父はもう戻ってこないのだ。
それと同時に胸を締め付けられるような苦しさが私を襲った。
「おじちゃん、行かんとって」
私はそう叫びながら息ができないほどに泣いていた。

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伯父を見送った私たち家族は、彼の不在になんとか慣れようとしていた。
母は、いつものように仕事に復帰した。
祖母は、先立った息子を思い出しては泣いていたが、私たちの世話で忙しくしていた。
そして、私も日常が続いていた。

それでもやはり、彼のいない世界に私は慣れることができなかった。

彼の死後、私はお葬式の夢に幾度となくうなされた。
その遺影には、私の大切な人たち。
「お願いやから、行かんとって」
夢の中でまた叫んでいる。

多感な思春期に、相談相手もいない私は、伯父の書斎の写真に向かって喋りかけていた。
「おじちゃん、どうしたらいい?なんで、死んじゃったん?」
もちろん、返事は返ってこない。
彼のいない世界を生きていくのは、当時の私には少し辛すぎたのかもしれない。

それから大人になった私は、少しずつ気づき始めた。彼の命もその時の私には、他人事だったのかもしれないと。
彼の死を通して、私は「死」を怖がっていただけで、彼の「命」の不在を怖がっていたのではない。
身近な人がいなくなる心の痛みが、トラウマになっていた。

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数年前に仕事の一環で、命についてのエッセイを書く機会を得た。今まで伯父については誰にも話したことがない。しかし、伯父と向き合うためにも、彼が私に教えてくれた命の大切さについて書いてみようと決心した。
エッセイを通して私が向き合ったのは、彼の「死」ではなく彼と過ごした時間。そうすると、自分で言うのもなんだが、なかなかいいエッセイを書くことができた。今までに書いたことがないような優しさに包まれた言葉たちだった。これが伯父が私にくれた温もりだったのかもしれない。私は彼が私の最高の伯父として私を温かく包んでいてくれていたことに気づいた。

伯父と過ごした時間と向き合えたおかげで、私は彼の最期についてちゃんと知りたいと思えた。初めて母に彼の病名を聞く。彼は癌だった。

「おじちゃんが2回死んだ気持ち……」と呟いて泣き出した私に、母は困惑していた。でも、それが私の正直な気持ちだった。
私が何も知らない間に、彼は癌と戦っていた。彼の余命はあまり残されておらず、それを彼も知っていた。

たちまち、いろんなことが腑に落ちた。
突然、髪を刈り上げた伯父。
「おばあちゃんを頼むな」と伯父の私宛のメールをみて、泣いた祖母。
伯父が亡くなる数週間前に、私と姉に喪服を買い与えた両親。

ああ、そういうことだったのか。
おじちゃん、何も理解してなくてごめん、ごめん、ごめん……。

私は、やっと彼の死を受け止め、彼の命が自分事になった。

あの時の私は、旅立つ彼に「ありがとう」を伝えられなかった。でも、今はちゃんと「ありがとう」を伝えたい。

◎          ◎

ごめん、ごめん、でも、本当にありがとう。
何度も何度もそう繰り返しながら、私は伯父の死をトラウマではなく、私の心の大切な一部として受け入れるようになった。

今年の9月18日で、彼が旅立って15年になった。
彼と過ごした時間よりも彼のいない時間の方がずっと長くなってしまった。
私は彼ほどできた人間にはなっていない。彼が知っている私のまま、甘えん坊のわがまま娘だ。そして、今も相変わらず彼のいない世界は、寂しいし、物足りない。たまに、思い出して泣いてしまうこともある。
それでも、私の心の中におじちゃんの命の灯火がちゃんとあるとわかったから、私はもう大丈夫。「天国から見守っていてね」なんて言わない。一緒にこの世界を見て、一緒に生きていきたいんだ。彼がこの世を旅立ってからも、私は彼とともに生きている。そして、生きていく。

おじちゃん、
ありがとう。そして、これからもよろしくね。