「人生経験はお金をかけてもするべきだ!何とかなるさ!!」
これは、私の母のいつもの口癖だった。
「お金のことは何とかなるから、なんでも挑戦してみなさい!」と、いつも母は、どんな時も私の味方で、私の背中を押して応援してくれた。

小・中学生の私は、値段のものさしでモノの価値を測っていた。値段が高いから高級品に間違いないとか、安いから質が良くないとか。つまり、高い商品に価値があり、安い商品には価値がないとか。
安いもの・安い服でも、一見高級品に劣らなかったり、普段生活するのに全く支障はないものだって、世の中にはたくさんあふれているのにもかかわらず。

大学生になった私は、「人生経験はお金をかけてもするべきだ」という言葉の意味を実感するとともに、それを叶えるための財力が必要なことも痛感した。

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大学2年生に上がるとき、交換留学を実現するためのクラスに入った。それは、選抜クラスで学年1500人のうち約150人の学生しか入れない特別なプログラムだった。
見事、選抜クラスの、しかも1番レベルが高いクラスに入れたものの、そこから留学も含めて2年間が本当の戦いだった。
交換留学で現地生徒と同じクラスを取り、「英語を」学ぶのではなく、「英語で」学ぶためのプログラムだったのだが、毎日のディスカッションのための知識を蓄えるリーディングの量が半端ではなかった。
放課後にクラスメートと助け合って課題に取り組むこともあった。

それらの課題の遂行と共に、留学費を貯めるためのアルバイトも怠らなかった。バイトの後に課題に取り組むと、夜中3時までかかったこともあったほどだ。
寝る間を惜しんで、勉学もバイトも留学に備えた期間のおかげで、実際に留学が始まってからの授業には抵抗なくついて行けたが、日々課題の量は増え、週末遊ぶための貯金は減る一方だった。

留学して3ヶ月が経った頃、その課題の量やクラスでのディスカッション・プレゼンテーションにも慣れ始め、余裕が生まれた時に改めて母から聞かされていた通り、「この経験は、お金では買えなかったなぁ」と身をもって実感したものの、両親の財力に支えられていた当時の私は、人生経験をするための「貯金」は必要だということも同時に学んだ。

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社会人になった今、身をもって経験したことは、死ぬ気で働けば自分の理想通りの貯金は出来るが、それと犠牲に自分の時間を仕事に割き、忙しい中でも体調管理も怠れない。
大人になって、「人生経験はお金をかけてもするべきだ!」とは身をもって理解できたものの、未だ「何とかなるさ!」の部分には、到達できていない未熟な私。

大人になって理解できたけど、未だ実行しきれていない、子どもの時の思い出だ。
そしてこれからは、やりたいことを実行できる準備が出来つつある未来にワクワクが止まらない。

そう、「何とかなるさ!」