あの日、あなたがゆっくり動かなくなって、寂しさがどっとあふれでた
2017年、11月3日。
シロが旅立った。20年という短くて長い人生に幕を下ろした。目の前で消えていく小さな命を、私は1人静かに見送った。
起き上がることもできないほど弱っていたシロは、朝、私がスプーンで口に運んだ水を少しだけ飲んだ。父さんと母さんが仕事へ出掛け、家には私とシロだけだった。
痙攣が始まったシロは、苦しそうに手足をバタバタと動かした。隣で見つめる私は、身体をさすってやることしかできず、涙があふれた。
少しずつ痙攣の回数が減っていった時、突然私の方に顔を向け2度鳴き声をあげたシロは、ゆっくりと動かなくなった。シロのお腹が、撫でていた私の手を押し返してこなくなった時、本当に逝ってしまったんだと悟った。
それは私の心に少しずつ染み込んで、寂しさがどっとあふれ出た。
20歳。フサフサだった毛は随分減り、まん丸と肉付きの良かった身体はもう、ほとんど骨と皮になっていた。
小さくなったシロを抱き締めながら思った。
シロへ。あなたの死をきっかけに、命について考えています
あなたがウチへ来た時、赤ちゃんだったあなたはすぐに大きくなり、3歳だった私にはまともに抱っこすることもできなかった。
あなたが逝ってしまった時、抱き上げたあなたの身体と私の身体は、すっかり真逆になっていたね。
私は今年で、27歳になりました。あなたにお別れをしたあの日から、もう5年も経ちましたよ。
シロ、あなたがいなくなってから、本当に色々なことがありました。
あの時大学生だった私は、今では仕事について、彼女もできました。
2年半前、うつ病になり、自殺未遂もしました。おばあちゃんが去年亡くなり、2度目のお別れを告げました。
この数年は、私にとって、「命について」「死について」「生について」立ち止まって考えるための時間でした。
そうそう、お祖父ちゃんは96歳になりましたよ。今もピンピンしています。
幼馴染みのみきちゃんは、可愛い女の子を産みましたよ。
ここ数年、あなたのことをよく思い出しています。20年という、決して長いとは言えない年月の中で、あなたは何を想い生きたのだろうかと……。
あなたにもう1度だけ会えるなら、聞いてみたいことがたくさんある。
シロ、あなたは幸せだっただろうか。
死は怖くはなかっただろうか。痛くはなかっただろうか。
そっちでおばあちゃんには会えただろうか。おばあちゃんは楽に……幸せになれただろうか。
寂しくない?また喧嘩ばっかりして、傷をたくさん作ったりしてない?美味しいもの食べれてる? 鼻の病気はもう良くなった?
父ちゃんもかーくんも、私もみんな元気にしてるよ。シロがいないこの家は、寂しくないと言えば嘘になるけど、仕事や音楽や勉強で、みんな、忙しくも充実した毎日を過ごしてる。
父ちゃんは、シロがいなくなって、私達の前では決して涙は見せなかったけど、本当は、誰よりも寂しくて寂しくて、仕方がなかったんだよ。
あなたの死をきっかけに、私は本当に色んなことを考えて、感じた。言葉にできない思いの方がずっとずっと多かったけど、できたものもあった。
生と死の意味を考えたとき、シロが「迷うな。生きろ」と教えてくれる
生まれてくる命があって、死にゆく命がある。
それは無常にも揺るぎない自然の摂理で、同時に、生命の美の根源であるようにも思う。
限りある時間の中で、あらゆるものは瞬く間に過ぎ去っていく。私達はそういう中で生きている。
私は時々、そのスピードに追い付けなくなってしまう。
だから、少し立ち止まって、生きていることのその意味を、価値を問いたくなる時がたまにある。
でもね、そうするとふとあなたの顔がよぎる。20年という短くて長いその生涯を、必死に生き抜いた小さな命は、私に「迷うな。生きろ」と言ってくれるような気がする。
シロ、あなたがあなたらしく一生を生き抜いたように、私も私らしく人生を謳歌してくるから、次に会うときは、また一緒の布団で眠ろうね。
今はまだあなたに会いには行けないけど、袋一杯のお刺身を持って、いつか会いに行くからね。
それまでどうかあなたが幸せでありますように。