社会に出るのが怖くて逃げてきた私が、勇気を振り絞って応募したバイトが、シーシャ(水たばこ)屋のバイトである。
ちゃんとしたかった。大丈夫になりたかった。

◎          ◎

シーシャとは、イスラム圏で愛されている「水たばこ」のこと。水に通した煙を時間をかけて楽しむシーシャは、特殊な器具が必要なため、シーシャ屋というお店がある。
たばこを吸わせる、という仕事柄、果たしてシーシャ屋がまともな仕事かと言えば微妙なところではあるが、人前に出て給仕をするので、一応ちゃんとした仕事だとは言えるであろう。そう思いたい。
夜職・愛人時代の貯金を食い潰してしまい、「いい加減働かねば」と思ったのがきっかけである。動機が不純。
それでもバイトをするという行動に移っただけえらいということにしておきたい。

シーシャ屋を選んだのは、お酒とシーシャが好きだからである。これならできるかもしれない、と思った。
でも、本当はとても怖かった。今でも怖い。
まず人間が怖いし、失敗することも怖い。外の世界は脅威に満ち溢れている。鬱の症状がいつ出てくるか不安であるし、お客さんが来ると逃げ出したくなる。「営業中」の札を出すときは、来るな来るなと思いながら出している。

面接に行くときだって恐ろしかった。 刻一刻と面接の時間が迫ってくるのが怖くて、向かう電車の中で軽くパニックになったり、そのまま線路に飛び込みたくもなってしまった。
それでもちゃんとしなくちゃと思って、面接にも行ったしバイトにも行っている。私にとってはとても大きな進歩である。

◎          ◎

なぜ「ちゃんとしなきゃ」と思ったか。
やっと、両親の老いに向き合う勇気が持てたからである。
昔は散々私に向かって「まともな人間になれ」と言ってきた両親も、1度私が精神病院に入院してからは「何もしなくていいから静かに過ごしていてくれ」と言うようになった。
それに甘えたら楽になれるのだろうな、という気持ちもあるけれど、これ以上甘えてはいけない、と思う。

もう両親は十分頑張ってくれた。ここまで育て上げてくれた。両親が望むまともな娘にはなれなかったけれど、それでも責任を持って育ててくれた。
老いた体に鞭打って働かせたくない。自分で、ちゃんとしたい。ちゃんとしなくちゃ。
昔は本当に無理になったら死ねばいいと思っていたけれど、死ぬのも案外難しい。
いい加減現実と向き合って、生きていかなければいけない。とてもつらいことだけれど。

◎          ◎

バイトが終わって、軽く酸欠になりながら帰路に着く。重いシーシャのボトルを何度も運んだ腕の怠さと、人と沢山接した疲れに身を委ねつつ、夜の月を見上げる。お父さんお母さん、私大丈夫になるからね、と思う。
家に帰ったら、お皿やグラスがシンクに溜まっていて泣きそうになることも少なからずある。
「なんで私が洗い物しなきゃいけないの。自分で使った皿くらい自分で洗え、無理なら紙皿と紙コップ使え」
と、同居人に当たり散らしそうにもなる。それでもぐっと堪えて、汚れたお皿たちを、鬱憤とともに洗い流す。
嗚呼、ちゃんと人間してるな、と思う。まだまだ無様だけれど、それでも。