私は大学を卒業した2年前に、介護職としてグループホームに就職した。実際に介護職に対するイメージが変わり、「付きっきりで寄り添う」のではなく、「できることと支援が必要なことを考慮する」役割を担うのが介護職だと思った。
できることまで手助けをしてしまうと、本人は自分を否定された気持ちになり、職員側も倍以上の気疲れをしてしまうので悪循環である。それを解消するには、できることは自分で維持して頂くことが重要だった。

グループホームには様々なお客様がいらっしゃり、全く同じ対応はしない。先輩や上司の話によると、「目線と声のトーンには気を付けること」「自立支援の方々とは会話する機会が少ないから、入浴と食事の時に挨拶を忘れないように」と厳しい目で見ているお客様もいることは聞かされた。
早く名前を覚えてもらうキッカケにもなるので、私は自分なりにコミュニケーションをこまめに取るようにした。エレベーターで一緒になることは多く、挨拶をするだけで喜ばれるのは仕事のやり甲斐にも繋がっていた。

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そんなある日。2ヶ月の研修がもうすぐ終わろうとしている頃だった。
この研修では新人教育をする先輩職員が2回つくことになっており、終わりに近づいていたタイミングだったこともあって私が1人でお客様を入浴にご案内するよう指示を受けた。その際にはマスターキーを持たされて、声掛けで浴室に来て下さるお客様と自走で車椅子を動かすお客様を呼んでくるように言われていた。
車椅子を自走する方とは顔を合わせたことがなく、部屋の前に来ただけで足元が震えた。少し緊張気味の声でドアの前から呼び、マスターキーで部屋を開けた。
これがいけなかった……。
「……何やっているんだ!」
「えっと……」
「ふざけんな!人の部屋を勝手に開けやがって。上の方に報告させてもらいますからね?!全くもう、どうなっているんだ」
すごく大きな声で怒鳴り散らされてしまい、驚きのあまり声が出せなかった。そのお客様は怒りながら、部屋のコールボタンで他の職員を呼び、役職者に話がある旨も話していた。

その日は昼休憩の後に呼び出され、上司から「なんでマスターキーで部屋を開けたのか?」ということを聞かれた。「部屋のドアをノックして、返事が聞こえず。開けようとしたら、鍵が掛かっていたので他のお客様の時と同じ対応でマスターキーを使いました」と正直に話した。
「貴方のしたことは空き巣と変わらない。あの方は、あくまでも自立支援です。見て分からないのですか?車椅子を自走なさっているでしょう?察しが悪い貴方が悪いのよ。余計な仕事を増やさないでください」と注意をされて「以後、気をつけます」との私の返答でその場は終わった。
教育係の職員と2年後に副主任になったチーフからは、「空き巣」というあだ名をもらった。

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会話をするだけ無駄だと悟って、自分の中ではしっかりと本人に謝りたいという気持ちを保ち続けた。ほとぼりが冷めるまでは本人に必要以上なコミュニケーションを求めないように努め、一週間経過したタイミングで食事を運ぶ日を迎えた。
「お待たせ致しました。お食事、失礼します」と一言断って、怒られたお客様の前に置いた。「ありがとうございます」と返事があり、「……すみません、先日は大変失礼しました」と勇気を出してみた。

また怒られるかもしれない、辞めさせて欲しいくらい憎まれているかもしれない等と怯えていたが、お客様は「てっきり把握しているのかと思っていた私も申し訳なかったです。怒っちゃってごめんなさい。また宜しくお願いしますね」と返してきた。嬉しくなって涙が出かけたが、心配されないように引っ込める。
それからは入浴介助で関わることが増え、会話も弾んだ。研修後には独り立ちをして声をかけてもらえることも増えてきたので、事務職員を含め他の職員たちからは面倒くさい人という扱いをされていたが、私は現場の中で1番打ち解けていたという自信がついた。

そのお客様に勇気を出して、本当に後悔をしなくて済んだ。今でも落ち込んだ時は、よく思い出す。
どうしても、時間に任せるだけでは何か違うと物足りなささえ感じていたので、今では自分の気持ちに向き合うと同時に、仕事に対する姿勢も変化した思い出になっている。