小学生の頃から高校生まで仲の良かったKちゃん、明るくて器用でいつもきれいに髪を結んでいた。同じボランティアサークルで活動して一番仲の良い友達だったと思う。
高校2年の頃、急にKちゃんが学校にもボランティアサークルにも来なくなった。しばらくして退学したのだと聞いた。何度かメールをしたが何も返事は無く、町で会う事も無かった。
なんとなくKちゃんへの悪い噂や良くないイメージがまわりで増えた。私もなんとなくその流れに乗ってしまっていた。
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それから4年くらい経った頃、私は高校卒業後就職してショッピングモールの中の店舗で働いていた。ある日、Kちゃんが小さな子どもを連れて歩いていた。声を掛けようか迷ったが、このまままた会えなくなったら嫌だなと思ったのでなんとか声を掛けた。
その後何度かメールのやりとりをして何度か食事をした。退学後、妊娠し出産・結婚などでとても忙しい日々を送っていたようだ。
とても仲の良い友達と思っていたので、それが突然何も言わずに距離が空いてさみしかった。そしてあまり良くない印象が広まってしまっていて、なんとなくわだかまりがあるようなもやもやした気持ちだったので、会って話が出来て嬉しかった。
会うと当時そのままで、とても良いお母さんになっていた。Kちゃんはとても幸せそうだった。
丁度その時期に私は結婚の話が上がっていて、そういう話が聞けたし、子どものことなど楽しみだらけだった。一度共通の友達とも一緒に会おうともなったが、私の引っ越し、結婚式や新婚旅行などで忙しく、会えなかった。
その次の年はコロナ禍の影響や夫が転職をして慌ただしく、やっと落ち着いてきた頃息子を授かった。そうなるとなかなか地元に帰れず、帰ったとしても実家で過ごしてしまう。
Kちゃんと連絡が取れなかった時期によく似ているなと感じた。あの時Kちゃんもこんな気持ちだったのかなと想像する。
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あの頃は友達なのになぜだろうと、思うこともあったが、今の私の状況を考えると家族の事で手一杯だ。長い事モヤモヤしていたが同じ立場になってよく分かった。
そして自分が親になってみて、自分の両親がよく言っていた事もなんとなく分かるようになってきた。成人した時、大人になったと思っていたが全くまだまだで、親になることでその立場になってみないと分からないことだらけだと痛感している。
いかに今まで同じ方向から物事を見てきていたかを思い知らされる。「こうあるべきだ」とか「これ以外の選択肢はない」と思い込んできていた。
人生の中で出産という経験を経て、無痛分娩や帝王切開、人工授精や代理出産、子どもを持たない選択、離婚やシングルマザーや里親・養子などどれも誇れる形だと考え方が変わった。人それぞれ違って良くて自分の幸せを感じられることを大切にするべきだと思う。
高校生の私から見たKちゃんは、「退学して可哀そう」「みんなと違っている」などと一方からしか物事を考えていなかった。
きっとKちゃんも悩んだこともあったと思うが、その中で自分の幸せを見つけたのだと思う。高校生から10年程経って、やっとあの頃のKちゃんの気持ちに気が付く。私も私の幸せを大切にしていきたい。