笑顔がとても素敵でいつも周りを明るく照らしてくれる、そんな友人がいた。
そんなキラキラした人、今まで見たことがなくて、小学校一年生にして初めて受けた衝撃だった。

いつも周りに人がいる人気者のあの友達みたいになりたかった私

小学校の頃の記憶なんてもう曖昧だけれど、その時のことはまだなんとなく覚えている。
保育園から小学校に上がって、はじめての教室。見慣れた顔はちらほらあるけれど、なんだか心細かった。そんな時にちょうど席が前後だったのが、友人Kだった。
どちらから話しかけたのかは覚えていないけれど、私たちはいつのまにか友達になっていた。

そして小学校にも慣れてきた頃、Kの周りはいつも賑やかで明るくたくさんの友達がいることに気が付いた。
「なんでKの周りには笑顔の人がたくさん集まってるんだろう」
それは少し嫉妬にも近い思いだった。
いいな、私もあんな風に明るくいろんな人と友達になりたいな。
その日から私はKのようになろうと努力していった。

まずKは、いつも明るく笑っていた。
ちょっときつい冗談を言われても、笑顔で受け流しているような人だった。
なので私もまずはニコニコすることを心がけた。でも冗談は嫌いなので、小学生ならではの男子のくだらない冗談は受け流せずにどうしても怒ってしまう。受け流すことは早々に諦めた。

次にKは、人の悪口を言わなかった。
人が不快に思うようなことをしないし、言わない。これは本当にすごいことだと思う。私もこの点は努力したけれど、必要に応じてこっそり言ってしまっていた。それはもう耐えられない!という時や、女子ならではの結束が必要な時だ。人を悪く言わない人はきっと本当に心が素敵なんだと思う。

真似して過ごしてみると、私に出来たのは友達ではなく知り合いだった

そしてKは、友人一人ひとりを大切にしていた。
もちろん特別仲の良い子もいるけれど、みんなと平等に仲良くしている感じがあった。
当時から親に「我が強い」と言われていた私なんかとも、たくさん遊んでくれていた。きっと嫌な気持ちになったこともあっただろうに、と今になって思う。

Kの真似をして、これらのことを心掛けて過ごしてみた。
そうすると本当に友達がたくさんできた。ただ私の場合はKの真似というだけなので、廊下ですれ違ったら話す程度の表面上での付き合いしかなかった。つまり友達ではなく知り合いがたくさんできただけだった。
それでも私はKに少しでも近づけた気がして、胸を張りたくなる気持ちだった。
本当に素敵な人には到底及ばないと分かっていたけれど、でもそんな人になった気分だった。

高校生になると真似はいつの間にかクセになっていて、同級生で話したことがない人はいないくらいになっていた。
「コミュニケーション力、すごすぎる」
「あの人とも話したことあるの!?」
そう言われるたびに嬉しくなった。自分がどんどん本物になれている感じがした。
もちろん特別仲の良い友達もいたけれど、交友関係の大半を占めていた浅く広い繋がりをなんだか切なく思っていた。

真似を辞めて「私はこれでいい」と、自分のことを認められるように

真似をする意味をだんだん考えるようになって、大学に入ってからは真似を少しずつ辞めていった。
勇気がいることだけれど、自分が仲良くしたい人だけと仲良くしてみた。
高校の時からは考えられなかったけれど、そうするのはすごく楽だった。やっと自分が自分に戻れた気がして、ちょっとホッとした。
私はこれでいいんだ。やっと自分のことを認められた時でもあった。

憧れのKとは、大人になった今でもまだ会う大切な友人だ。
強く憧れていたKに手が届くことはないってもう分かったし、私はKにはなれない。
だけど私をここまで社交的で明るくしてくれたKに、勝手に感謝している。
きっと小学校の頃の記憶なんて曖昧で、イメージが膨らんでしまっているだけかもしれないけれど、あの頃からずっとKは私にとって眩しく輝いて見えている。

弱い部分は滅多に出してくれないK、そんなKでも愚痴をこぼしたくなった時には私でよければ聞かせてほしい。味方でいたいし、今度は私がKの気持ちを照らせたらなと思っている。
大切なことを学ばせてくれたK、これからも向日葵のようなあなたでいてください。