結婚式の準備で、実家にある写真を探していた時のことだった。
私の幼少期の写真たち――その中から、ある一枚の写真を見つけた。

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数少ない、中学生時代の写真だった。
これは確か中学3年生の移動教室で、ジェラートを食べているときの写真。当時、仲が良かった友人3人と一緒に、カメラに向かってピースサインをしている。

中学生時代の友人とは、今ではもう、殆どの人と連絡が取れなくなってしまった。
当時"携帯電話"を持たせてもらえるのは、一般的に高校入学のタイミングだった。
そのため卒業式後に会う約束をして、その際にメールアドレスを交換したものだった。
しかし、別々の高校に進学した友人と連絡を取る機会は徐々に減ってゆき、いつの間にか交換したメールアドレスは不通になる。
かろうじて連絡がとれるのは、高校進学後も交流のあった友人数人ぐらいのものであった。

連絡が取れなくなった友人たちに対しては「もう仕方ない、そこまで思い入れも無いし、会いたいとも思わない……」というのが正直なところである。
しかし、一人だけ、どうしても会いたくても会えない友人がいる。ジェラートを持って一緒にカメラへ目線を向けている、私と同じく眼鏡をかけた女の子。
以降、その友人を"K"としよう。

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中学時代、私はクラスに馴染めずに過ごした時間が多かった。
1学年1クラスしかない小規模な小学校にいたが、あらゆる小学校が集まる1学年7クラスもあるマンモス中学校に進学した。小学校とは雰囲気も違うし、知らない人だらけ、おまけに"クラスメートの大半が替わる"ことも6年ぶりである。
見事に怖気づいた私は、人間関係構築のスタートダッシュを切り損ねたわけだ。

中学1年生は、ほとんど一人で過ごした。いわゆる"ボッチ"だ。昼休みは小学生時代の友人と過ごすこともあったが、孤独だった。
中学2年生では、大人しそうな女の子と話すことができた。更に、クラス替え後しばらくしてから、なんとなく雰囲気の合うグループに馴染むことができた。その友人らとは校外で遊ぶこともあったが、一部の友人は"仕方なくと自分とつるんでいる"気がしていた。
中学3年生、クラス替え直後、はじめて「友だちになろう」と声をかけてくれる人が現れた。
それがKである。

当初「なんで私なのか」と驚きと戸惑いの気持ちがあった。
「今までの2年間、ほとんどボッチで浮いていた私を、なんで」
「教室の離れたクラスだったから、私の立ち位置を知らないのか……?」
と疑心暗鬼であった(今思えばひどい話だけれど)。
彼女の本当の気持ちは分からないが、結果的には、私とKを含む4~5人グループで卒業までつるむこととなった。

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中学3年生になってはじめて「友人がいる」という安心感で心が満たされた。
「私を選んでくれた人がいる」
「この子には私しかいないし、私にはこの子しかいない」
「この子と一緒にいて楽しい、信頼できる」
中学生になってはじめて"大好き"で"ずっと仲良くしたい"と思える友人と出会えたのだ。

Kは、良くも悪くもドライなところのある女の子だった。
傍目から見ると、あまり友人に対してベタベタするタイプではなかった。
思えば、私の"「K大好き」ムーヴ"も、Kにとっては若干鬱陶しかったと思う。
校外で遊ぼうと誘っても「面倒だから」と、誰に対しても誘いに乗ってくれなかった。
でも、困ったことがあれば冷静にアドバイスしてくれたり、必ず味方になってくれた。
二人組を作る時、一緒になってくれた。それがどんなに心強かったか。

冬、雪の降る日、二人で「さっむ~!」と言いながら一緒にトイレに行ったこと。
体育の授業、サッカーの試合中に喋っていたら"当時のそれぞれの推し"が、偶然的に同じ誕生日だと知って、めちゃくちゃテンションがあがったこと。
昼休み、お互いの好きなものを語り合ったこと。Kの推しを一緒に応援して、一緒に泣き笑いしたこと。
些細なこと、なんでもない日常が、今では愛おしい思い出になっている。

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卒業後、Kと校外で一緒に遊ぶ機会をなんとか作り、メールアドレスを交換した。
高校1~2年まではたまにメールでやりとりをしていたが、大学受験の時期を機に、ぱったりと連絡が取れなくなった。というか、取れなかった。
自分が進路に悩み、勉強に忙しいのと同じく、彼女もそうだったから。メールの返信頻度や文章の端々からそんなことを感じ取ってしまい、自ら連絡するのを止めてしまったのだ。

大学・専門学校に進学すると同時に、自分含め多くの友人はガラケーからスマホに乗り換えた。そんなタイミングでメールアドレスを変えて、一応「アドレス変えましたメール」を送ったりしたが、Kから返信が来ることはなかった。
同時に、アドレス帳の一部データが消えてしまい、Kのメールアドレスも分からなくなってしまった。
結局、彼女がどこに進学したのか、今なにをしているのか、よくわからない。

ふと、彼女のことを思い出しては、「また会いたい」と思う自分がいる。
一方で、「もう会わない方が幸せだろう、ここまできたら」とも思う。
でも、拗らせた執念みたいなものがあって、彼女を思い出すたびに心がぎゅっと苦しくなるのだ。
願わくば、彼女と再会して、「最近どう?」「会わない間にお互い老けたね」「今なにしてるの?」「まだ○○推しなのは変わらない?」などと語り合いたい。

――こんな文章を書いていることを知られたら、きっと彼女はこう言って笑うんだろうな。「いや重いわ……!」って。