私は小学6年生の時に小学校の先生になろうと決め、それからブレることなく教員になるための道を築き上げた。
教員になるからと、私はあらゆることを想定して勉強した。大学時代にやったバイトは塾講師と採点と試験監督。どれも教員に関する業務の練習になると思って始めた。そして独学で保育士資格を取得した。小学校の教員になるなら、入学前の子どもの実態も把握する必要があると考えたからだ。塾でも小学校低学年から高校生までと幅広い年齢の生徒に対応することで、子どもの抱える問題を自分で知っていこうと心がけた。
そして目指した小学校教員になった。

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でも、私は……実は学校が嫌いだった。
小学校時代は2年連続学級崩壊。担任の先生とは対立するわ、教室ではプリントが宙を舞い後ろに回らないわ、乱闘は日常茶飯事で授業どころではない。窓ガラスはよく破られて、多くの児童は靴箱からではなく窓から飛び降りて出入りしていた。
物が飛び交う教室では怪我人が続出。友人も上靴が直撃したことがあったが、投げ合っている人が多すぎて誰がやったかさえわからない。ヤクザのような父親が乗り込んできた光景は、今でも鮮明に覚えている。学校は危険だ。子どもが荒れて壊れていくか、病んでいく空間だと認識した。
中学高校では嫌がらせにあった。真面目でいることをバカにされ、男子からは体育館シューズを後ろから投げられ、女子からは陰口を叩かれた。それでも反発するとつけあがると思い、1人で大丈夫なふりをした。
仲の良かった友人は、受験を前に精神的に不安定になった。記憶が飛んで、友人であったことを忘れられてしまった。私は気がおかしくなりそうだったが、なんとか持ち堪えた。でも、学校に対するイメージはより一層嫌なものへと変化していった。

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大学では小中高で受けてきた「学校」という空間の負のイメージから、なかなか周りと馴染むことができなかった。「優等生だね」とよく言われたが、グループを組むように指示を受けると、毎回取り残された。1人でもできるのに、見せ物のように自分だけが取り残されたあの感覚は、学校独特の苦痛な空間だった。またあの子1人じゃん、入れてあげなきゃいけないの?という雰囲気はストレスだった。

だから私は、経験上「学校」全体が嫌いだ。楽しくもなければ面白くもない。それどころが、私の精神を壊してくる空間だった。どこへいっても不安と苦痛がはびこっていた。

それなのに私は教員になった。歪んだ正義感から。学校は子どもたちが気持ちよく学べる場でなければならない。その気持ちで教員を目指したのだ。
そして教員になった。でも、甘かった。子どもの頃のちっぽけな正義感では現場は変えられなかった。力不足だった。職場の人間関係や学級運営以外の業務の山。変える余裕がなかった。
思い出す。嫌いな学校という空間。仕事中でもよぎる恐怖心。
なんで教員を目指してしまったんだろう。なんでこんなに嫌いだったのに目指してしまったんだろう。ずっと前から嫌いだったのに、なんで他の道を選ばなかったんだろう。自分の歪んだ正義感を呪った。
それでも、他に秀でる能力がないから続ける教員。

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塾の生徒に私は言うのだ。
「教員志望なんだ。やりがいあるよ!」
「大学は人生の中で一番楽しいって言うから、楽しめるよ」
「学校は新しい仲間に出会えて、楽しい行事もいっぱい!いいことたくさんあるよ」
嘘だ。私はそんなこと思ったことない。現場を見て体験している私が一番よく知っているのに、私は嘘を塗り重ねる。

でも、本当は学校を好きになってほしいと思ってるんだ。私のように苦しまない学校生活を送ってほしいんだ。私とは違ったステキな教員になってほしいんだ。のびのび生活してほしいんだ。
辛かったら辛い気持ちに共感できる。だからこそ、私はより良い学校生活を送れるように一人ひとり寄り添えるんじゃないかって思ってる。
私と関わった生徒児童が、幸せな生活を送れるように、私も今日も学校嫌いを隠す。