幼い頃の私は、良くも悪くも協調性がなかった。人と違うことをするのが好きだったのだ。

例えば、小学校の図工の時間。学校が購入した工作キットで車を作った。
キットの中には説明書があり、男の子向けの車と女の子向けの車、それぞれの作り方が記載されていた。しかし、私はどちらの車も作りたくなかった。

結局、作り方には記載されてない、移動動物園をイメージした車を自作した。自己流で作ったから車はスムーズに動かなかったし、その車を見た担任の先生は苦い顔をしていた。それでも、当時の私は満足していた。

しかし、中学校に上がってから、生徒間の集団意識がより強まった。集団の一員として、学校生活を送らなければならない。
学年のスローガンは「One for All ,All for One(一人はみんなのために、みんなは一人のために)」。大切なことだと分かっていたが、心のどこかで突っかかりを感じていた。

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授業だろうが部活だろうが、一人が注意されると、その場にいる全員が注意を受ける。一人の責任はみんなの責任でもあった。
また、高校受験前の冬休みに中学校の許可を得て、図書室で自習していた。勉強から離れて、息抜きで読書をしていたら、たまたま図書室に入ってきた先生に注意された。みんな勉強しているんだから勉強しなさい、と。
「いやいや、私すでに7時間くらい勉強してますけど?」と心の中で舌打ちした。

理不尽さを色々な場面で覚えていたものの、ずっと受け身の教育を受けてきた私は、当たり前のようにそれに従っていた。
集団意識は大学に入学してからも続いた。
同じ学部の人と仲良くなろうと、人見知りながらも声をかけていたし、周囲からハブられないように努めていた。
また、人脈を広げた方が優位だろうと考え、3つもサークルを掛け持ちしてしまった。
私は、様々な場所で「集団の一員」となった。

しかし、次第に集団に属していることに疲れを感じるようになってしまった。自分の意志よりも、周囲に合わせることを優先していた。
落ち込みが激しかった時は、「もう大学を辞めたい」と思うことすらあった。
偶然、大学からさほど遠くない場所に住んでいた叔父に会う機会があり、そのことを相談した。色々なことで悶々と悩む私を見て、「女子大生だねぇ」と言われた。

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数ヶ月後、私を縛り付けていたあらゆる糸がプツプツプツと切れていった。
糸が切れた私の行動は多岐に渡った。一人で海外旅行に行った。所属していた3つのサークルを全て辞めた。その代わり、気が合いそうな学外のインカレサークルに参加した。2回も留学した。内定を蹴り、大学院に進学した。
私は、周囲の目を気にせず、自由な大学生活を過ごした。

大学院1年生の時、叔父に再会した。学生生活について近況報告する私を見て、「女子大学生っぽくないねぇ」と言われた。
「女子大生っぽい」と言われた時は、一般的な女子大生なんだと安堵していた。しかし、「女子大生っぽくない」と言われても、全く気分が悪くならなかった。大学院生なので、年齢的には社会人でもおかしくはないのだが、「女子大生」という型にはまらず、自分らしく過ごしていると受け取ってくれたのだと思う。

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叔父は最後に言った。「ちゃんと親孝行しなよ」と。
こうして振り返ると、周囲にたくさん迷惑をかけてしまった。特に地元にいる家族には、金銭的に負担をかけてしまった。時間はかかるだろうけど、私を自由にさせてくれたお返しをしていこうと思う。

そして、こんなに自由奔放な私と未だに仲良くしてくれる友人もいる。本当にありがたい。これからも自由人だけど、よかったらよろしくね。

社会に出て、集団意識や協調性といった風習が再度求められるようになった。あんなに嫌だった風習も「仕方がない」と受け入れられるようになった。これが社会人というものなのだろう。

でも、そんな中でも「自分」を見失いたくない。自分は何をしたいか、何が好きか、何に喜びを感じるのか。自分らしさを失わず、この社会で生きていこう。
そして、「らしさ」は年齢や経験などの要素によって変化する。「私らしさ」がこれからどのように変化するのか、楽しみだ。