高校二年のクラス替え。特殊な学校で二クラスしかなかったから、クラスメートの半分は去
年と同じだった。友達と呼べる人も何人かいて、特に心配事はなかった。
けれど、なかなか他人に心を開けない私にとって、あまりクラス替えは嬉しいものではなかった。

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二年で同じ委員会に入った子は、去年も同じクラスで何度か話したことがある子だった。優しくていい子なのは感じていたけれど、「友達」と呼べるほどではなかった。

昼休みの委員会が終わり、教室に戻るとみんなはお弁当を食べていた。いつも一緒に食べていた子は、もう食べ終わったのか勉強をしていて、何となく声を掛けにくかった。一人でお弁当を食べることに大きな抵抗があった訳ではないけれど、周りが楽しそうにしている中、少し寂しくも感じた。すると、
「ねぇ、私達と食べる?」
さっきの委員会同じだった子とその友達が声を掛けてくれた。去年も同じクラスの子たちで、とても仲良しではないけれど、話したことはある子たちだった。

良いのかな?と少し迷ったけれど、席も用意してくれていたし、お邪魔することにした。
私を含めて5人。みんな優しくて、いっぱい話してくれて、すごく楽しかった。
次の日。また昼休みになると、「今日も一緒に食べよう!」と声を掛けてくれた。それからは、このみんなと一緒にいるようになった。

みんなは私よりもかわいくて明るくて、平凡で刺激のない毎日を過ごす私とは何となく遠い存在だった。けれど私の何かを気に入ってくれたのか、一緒にいてくれるようになった。
みんな優しい子たちで大好きになっていったけれど、最初は「私は、この子たちと違って陰キャだから」「みんなに合わせないと」など、どこか格差のような、劣等感のようなものを感じていた。一緒にいることは楽しかったから、一度もこれらを口にしたことはなかったけれど……。

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結局、卒業までの約二年、私はこの子たちと一緒に高校生活を過ごしていた。所謂、「イツメン」だった。
その二年間で、最初に感じていた劣等感は、彼女たちと過ごす時間の中で吹き飛んだ。みんなはとても自由で、自分らしさを持っている子たちだった。
人のことを傷つけない優しい言葉ばかりが会話では飛び交っていた。好奇心があって、私にいろんなことを誘ってくれた。学校行事は一緒にまわって楽しんだ。放課後や休日に出かけることも増えた。受験勉強も一緒に頑張れた。

とにかく楽しくて笑いが絶えない毎日は、駆け抜けるように過ぎ去っていった。
「私の毎日はつまらない」「充実とは無縁」「みんなと違って自分は陰キャ……」
ネガティブな感情は、明るい人たちと過ごす時の中で、いつの間にか消えていた。

それは、明るくて、自由で、個性があるみんなと過ごす時間が、私に新しい刺激や経験をくれたことで、ネガティブな感情になる隙を与えないくらい忙しくて充実した時間だったから。何よりも、「カースト」なんてものに囚われず、他人に優しいみんなは、最初に私がみんなに対して持っていた見えない壁を感じない人たちだった。

先生にも他のクラスメートにも、沢山話しかけていた。この子たちと過ごしていく時間が増えるほど、私も他人に「見えない壁」を感じることはなくなった。次第にこの子たち以外にもクラスにはたくさんの友達が出来た。

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高校を卒業し別々の進路を進んでいる今でも、みんなとは予定を合わせて遊んでいる。今回、「時が解決してくれたこと」というこのテーマを見た時、「そういえば、最初はみんなに対して自分は格差を感じていたな」「最初は正直必要以上に誰にでも気を使っていたな」と、思い出した。今ではそんな思いは微塵もなくなり、大学生になってからはより一層周りの人とのかかわりを大切にできる人間になった。

みんなと過ごした高校生活の時間が、私の中のネガティブな感情と、他人への見えない壁を吹き飛ばしてくれたことで、充実した、周りに恵まれた毎日を今でも過ごすことが出来ていると、心からそう感じている。