蝉もミンミンと元気に鳴き、猛暑が続くある日のこと。
朝から夕方まで、睡魔に負けそうになりながらも大学の授業を受け終えた。
流石に夏の暑さと、連日の課題のオンパレードゆえの睡眠不足で、ヘトヘトになりながら帰路につくための電車に乗り込んだ。
普段はこの時間帯の電車は満員で1時間以上立って乗らないといけない。しかし、この日は運が良く、満員に近いくらいの人が乗っていたが、なんとか座れた。

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たまたま、最寄駅の近い後輩が同じ電車に乗り合わせ、後輩と課題の話や雑談をし、「お互い頑張ろう」「この苦しみの先にはきっと今日の自分より賢くなっている」と、暗示のような励ましをお互いしていた。
一通り話すと、電車内でもできる課題(PCや教科書を使わず、小ぶりのレジュメをみながらできる課題)をお互い進めようと、準備をした時……斜め前に座っていた人が突如「え、え、まって、たすけて!!!誰か!!誰か助けて!!」と叫んでいた。
周囲の人も、どうした?どうした?という感じで見ていた。

その時の状況は、斜め前に座っていた人の前に、吊り革を持って立っていた人が、突如、意識を失い座っていた人に倒れ込んでいた。意識を失っているため、その方の全体重が倒れ込まれた人にのしかかり、身動きがとれなくなり助けを呼んでいた。

私の性格は消極的で、グイグイいけるタイプではない。
しかし、この光景を見たとき、看護学生(当時3年生で、ひと通り看護技術も習い、実習でも学びを深めていた時期)としてのスイッチがビシッとはいった。
後輩も恐らくスイッチがはいったのだろう。
2人、目を合わせて「行くよ!」と。

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そこから、後輩と共に、意識を失われている方が寝転べるよう、周囲の人に協力してもらいスペースをあけてもらった。
横になった時点で、呼吸の確認、呼吸数、脈拍など測れるものは測った。少し頭部を上げた方がいいかな?と後輩と話し、私の通学用のリュックを枕がわりにし横になってもらった。その間に、次の駅に着いたため、他の乗客から駅員さんに事情を説明してもらった。

後輩に「さすが先輩ですね。よくあんな冷静に対応できますね」と言ってもらった。
しかし、内心は心臓バクバク、冷や汗タラタラ、頭の中は常に最悪の事態を考えパニック寸前だった。

今回、倒れられた方は、次の駅で降り歩いてホームに行けるほど回復されたのでよかった。
駅員さんに、何とか引き渡せたことに安堵を感じた。
しかし、私と後輩はこれから自分達の最寄り駅までの1時間、睡魔なんて吹っ飛び、心臓バクバクのまま電車にゆられた。
それほど、私にとっては、今までにないくらい勇気をもって大きな一歩を踏み出した経験だった。

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体調悪そうな人に声をかける、席を譲りたくて声をかける。
「声をかける」や「倒れている人を助ける」などは、頭では「声をかけたい」「大丈夫ですかと駆け寄りたい」と思っていても、なかなかその一歩を踏み出す勇気がでない。
消極的な性格を言い訳にせず、この時の私のように、これからも「大丈夫ですか!」と声をかけられる人になりたい。
その一言で、「救われる命」「救われる人」がいるのであれば、一歩どころか、二歩、三歩と踏み出していきたい。