どんなに苦しくても、離れがたくても、時が解決してくれると言われることがある。のちに、自分で当時を振り返ると、本当に時がそうさせてくれたと感じられる時がある。
私にとっては、“お茶漬け”がそうだった。

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私は、大学を卒業し社会人として毎日を過ごしていた。朝は忙しいけれどゆったりする時間もほしい私は、毎朝食べるものを決めていた。それがお茶漬けだ。

仕事をするにあたって、腹持ちのいい食べ物が良いと思った。パンよりも米のほうが腹持ちがいいと考えた私は、手軽でサラッと食べられることから、毎朝お茶漬けを食べることにした。実家から送られてくる梅干しや、興味をひかれて手を伸ばした薬味などを添える日があったり、自分なりに楽しんで、飽きないように工夫しながら食べていた。

そんな生活を続けて1年。私は社会人2年目に突入した。
変わらず毎朝のお茶漬けは続いていた。しかし、仕事は低迷気味だった。ストレスを過度に感じており、クリニックに通って、薬を服用しながら仕事を続けていた。

すると、1つ変化が訪れる。毎朝のお茶漬けが味気のないものに感じられたのだ。
1年以上も同じものを食べ続けたからだろうか。いや、休日にはパンやフルーツなど違うものを食べていたときもあり、そこまで味に慣れすぎてしまったわけではないとは思う。まさか仕事が原因だとは思っておらず、ふりかけをかけた味変や昨日の残り物丼にしてみるなどメニューを変えて朝食を食べていた。

しかし、お茶漬けの味気なさは続く。それどころか、お茶漬けをスプーンで一口すくって食べただけなのに、喉のつっかえや体の意思で「飲み込みません」というサインを感じるようになったのだ。
それでも仕事に行かなければとお茶漬けをかきこんでいると、えずくまでエスカレートしていったのだ。半分まではがんばれたものの、これ以上口に入れられない日もあった。

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ここでようやく、朝食を食べられなくなった原因が仕事の負荷によるものだと勘づく。当時の口癖は「辞めたい、立ち止まりたい」だった。

だた、私はこれをすぐに上司に相談できるほど強くはなかった。まだ仕事に行けている。行けてしまっているから、また明日も同じように出勤するのだ。そういう思考回路が私の頭の中を巡っていた。毎日、ぎりぎりでも仕事をこなせている以上、私はこの辛さから脱出できる術はないのだと言い聞かせ、毎日出勤をする。ギリギリの生活をしていたある日、私に追い打ちをかける出来事がやってくる。

お茶漬けが食べられなくなったのだ。
お茶漬けの素とお米の味を、体が受け付けなくなった。
朝ごはんが、食べられなくなった。

この頃の私は、朝食だけでなく、どの食事でも食欲はなく、食事量も減っていた。夜になると寝付けず、無理やり目をつむって時間を過ごす。最終的に気絶するように眠りについていたように思う。
実質3時間ほどの睡眠で翌日出勤する生活が続いた。当然体は悲鳴をあげ、1ヶ月もしないうちに、私は仕事を休職するという選択をしたのだ。

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休職して3ヶ月が経った頃、そろそろ食べられるのではないか、と思ってお茶漬けを昼食に食べてみることにした。自分の好きな味付けで、以前のように。

スプーンで少なめの一口をすくって、口に運ぶ。味は美味しいと感じられたが、米の舌触りや、湯気と共に香ってくるお茶漬けの香りが、私をあの頃へ戻した。何口か食べ進めてはみたものの、それ以上は受け付けられなかった。

やっとの思いで口の中の米を飲み込み、9割残っている茶碗を持ってキッチンのシンクへ向かう。茶碗の中をすべて破棄した。

それから2ヶ月ほど経つと、以前のような体の不調は消えており、大きな声で笑えるようになっていた。仕事から距離を置くことで劇的に回復していたのだ。ここで再度、お茶漬けを食べてみることにした。

残っているお茶漬けのもとを温めたご飯にかけてお湯を注ぐ。前回のことを踏まえて、少なめに作った。それをスプーンで少なめにすくって口に運ぶ。数回もぐもぐと口を動かす。

食べられそう。

そう思った。
過去を思い出すこともなく、苦しくなることもなく、飲み込めた。
続いて先程より少し多めの量をスプーンですくい、口に中へいれた。これも食べられた。5ヶ月前、拒絶していたものが食べられるようになった。とても嬉しかった。
この日は完食できた。これが成功体験となり、私は再びお茶漬けが食べられるようになったのだ。

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私が要した時間は、5ヶ月。サインが出ている期間を含めると、完全復活までに7~8ヶ月はかかったことになる。それでも、時間をおいてまたチャレンジすることでお茶漬けがまた食べられるようになった。自分の状態も含め、時間が解決してくれたのだ。もちろんそこには、環境の変化もあったけれど。

辛いと思ったとき、無理だと思ったとき、時の流れに身をまかせてみるのも1つの方法として良いかもしれない。時間をかけることで、私のように解決できる問題もある。
当時の心境も、食べられなくなったお茶漬けも、今こうして思い返して文章にすることができている。

これもまた、時間の経過とともに克服したものである。