エッセイストとしての苗字「吉川」を拝借させてもらった、母方の祖母は11人兄弟の末っ子。
その11人兄弟の長女である花子さん(以下、花子ばあちゃん)は、末っ子である私の祖母と20歳も離れていたこともあり、祖母のことを我が子のように可愛がったという。

そんな花子ばあちゃんから可愛がられて育った祖母の初孫である、私も同じようにとても可愛がってもらった。

のちに聞いた話によると、花子ばあちゃんは子供嫌いな人で有名だったそうで、私のことをあれほど可愛がっていたことは親戚中が驚く出来事だったらしい。

そんな花子ばあちゃんは私が小学4年生の時に老衰で亡くなったのだが、彼女が亡くなる1週間前に私は予知夢的なものを見たのだ。

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その夢の内容は、祖母の家の仏間に出窓があるのだが、花子ばあちゃんがそこで体育座りをしているというもの。
私が「花子ばあちゃん、下に降りましょうよ!」と声を掛けるのだが、体育座りしたままの花子ばあちゃんはピクリともしない。
そんなやり取りを繰り返すが、花子ばあちゃんが微動だにしないところで目が覚めたのだ。

その夢の話は、花子ばあちゃんのお葬式で話題となった。

それを聞いた親戚は口々に「花子ばあちゃんは本当にリサのことが大好きやったけん、お別れを言いに来たとたい」と言っていた。

小学4年生の私は「あの時、夢の中で花子ばあちゃんを引き留められたのではないか」と思ったりもした。

そして花子ばあちゃんが「仏間の出窓で体育座りをしている姿」が、ずっと心のどこかで引っかかっていた。

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月日は流れ、私は高校2年生になった。

日本史の授業で縄文時代の埋葬の仕方に触れることがあり、「屈葬」というものがあることを知った。
屈葬とは、体育座りをした状態で埋葬する方法。田舎の地域によっては数十年ほど前までその埋葬の仕方が用いられていたという。

それを聞いた瞬間、体育座りをした花子ばあちゃんの予知夢が脳裏をよぎった。

帰宅後、今日1日学校であった出来事を話すのが日課だった私は、半ば興奮気味に「屈葬」の話を母に話した。

「今日さ!日本史の授業で『屈葬』っていう埋葬の仕方を習ったっちゃけど、もしかして花子ばあちゃんの田舎って『屈葬』しとった?」
「そうね。花子ばあちゃんの田舎は『屈葬』だったけど、なんで?」
母は何食わぬ顔で聞いてきた。

心にずっと引っかかっていたあの夢が、本当の意味での予知夢だったのだと確信が持てたと同時に背筋がゾクゾクした。

「え……。あのさ、小学4年生の時、花子ばあちゃんが亡くなる1週間前に花子ばあちゃんの夢を見たって話、覚えとる?あの時、仏間の出窓で体育座りしとったのって『屈葬』を意味しとったんかなって……」

そう声を震わせながら恐る恐る話す私に対し、母は「そうなのかもねー!」と、何故かあっけらかんとしていた。

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その母の様子のおかげで「本当にあった怖い話」ではなく「世にも奇妙な話」くらいに心に留めることはできたのだが、あれほど明確な予知夢はあれ以来見ていない。

祖母でも花子ばあちゃんの娘でも孫でもなく、私にお別れを言いに夢に現れてくれたこと。
そんな不思議な体験を思い出す度に、花子ばあちゃんとの思い出が蘇る。