祖母が亡くなって12回目の冬がやってきた。私が中学1年生の時に急に病に倒れた。親戚の中では唯一まともだった祖母。6人兄弟の長女だった祖母は働き者で、お料理が上手で、面倒見が良くて優しい、私にとっては自慢のおばあちゃんだった。

祖母には何でも話せ、まさに憩いの場だった。反抗期に入るまでは

私はおばあちゃん子だ。家が近かった為、よく行き来をしていたし、電話もたくさんした。学校がお休みの日は祖母とスーパーへ買い出しに出掛け、お菓子やジュースを買って貰った。おやつを食べながら色々な話をした。そして一緒に夕食を作った。
子どもの頃は母親が怖かったので祖母の家はまさに憩いの場、天国みたいなところだった。不思議なことに、両親や姉に話せない話も祖母にだけは話せたし、祖母も昔の話をたくさん話してくれた。たまに叱られることもあったけど素直に聞くことができた。反抗期が訪れるまでは。
今思えば私は中学生の頃、反抗期真っ盛りだったと思う。通っている学校が荒れていて、所謂不良グループに属している人達と仲良くしてしまった私は、学校の壁に落書きをしたり、平気で人に嘘をつくようになった。
学校に親呼び出しなんていうのもザラで、悪の道に手を染め始めていた。もちろん親の言うことなんて聞くはずもない。親も親で相当悩んだことだろうと思う。どうやら母が実母、つまり祖母に私の事を相談したらしい。

反抗し会わない間に祖母がくも膜下出血になり、そのまま亡くなった

全てを知った祖母は私を家に呼び出し、叱った。叱ったと言うよりも悲しがっていたように思う。ただ、反抗期の私には何も響かず本当にうざったく感じてしまい、暴言を吐いて祖母の家を飛び出した。それは年末の出来事で、普段は毎年お正月に母と姉と祖母の家に遊びに行くのだが、その年私だけは家に行かなかった。
そしてお正月が終わってすぐの寒い朝、祖母はくも膜下出血で倒れそのまま亡くなった。
祖母が亡くなった直後の事はあまり思い出せない。葬儀が終わっても祖母が亡くなったという実感がなかった。
のちに知ることとなったのだが、母と叔母で遺品整理をしていると、引き出しの中から大事そうに保管されていた「麻也ちゃんへ」とだけ書かれた便箋が見つかったそうだ。その先には何も書かれていない。何も知らない母は、姉宛の手紙はないのにあんたにだけ何を書こうとしていたんだろうね、と不思議そうな顔をしていた。

祖母が書きかけた手紙の内容を知ることも、謝ることも二度と叶わない

祖母は私に何を伝えようとしていたのだろうか。もうその真理を知ることもできない。ただずっと、お正月に会いに行けば良かったという後悔が押し寄せる。最後に暴言を吐いてしまったこと、それが最後の会話になるなんて思ってもいなかった。
一言だけ、「酷いこと言ってごめん」が言いたいだけなのに、それすらもう二度と叶う事はない。私がどんなに後悔したって、その気持ちも二度と届く事はない。当然の報いだが、私は死ぬまでこの後悔を背負うこととなる。
祖母の死をきっかけに、私は不良グループと縁を切り、改心した。そうでもしなければ祖母が成仏できないと思った。この世ではもう会うことができないから、いつか私が死んであの世へ逝ったら一番に祖母に会って謝りたい。
生きているものはあっけなく、そして何の予兆もなく突然に命が尽きる。明日が来るかなんて分からない。年齢も関係ない。その事を痛感した私は日々後悔のないように生きなければならないと思った。