私は運動会が大嫌いだった。
身長の割に太ってたから組体操では下の方で恥ずかしいし、走るのは遅いし、二人三脚では足を括る紐が途中で吹っ飛ぶし、ダンスで踊る曲はどうでも良い流行りの曲。
炎天下の中、ジリジリと燃えるように熱い校庭の砂の上で体育座りさせられて、整列する。たいした時間じゃないのに長い時間に思えて、砂に絵を描くことで気を紛らわせてた。
勝ち負けもどうでもいい。そもそも運動は得意じゃないから、どうにかして運動会がなくならないかなってずっと思ってた。

おばあちゃんの死。思い出はどれも優しくて涙が出た

小学校最後の運動会の前日におばあちゃんが死んだ。
9月の頭になって急に痩せこけて自分で動けなくなったおばあちゃんは、運動会の1週間くらい前に入院していた。血液の癌でかなり進行が早くて、病気が見つかってからあっという間に亡くなってしまった。

亡くなった母方のおばあちゃんは隣の県に住んでいて、小さい頃から2か月に一度くらいは会っていた気がする。
首に毎回違うスカーフを巻いていつもお洒落なおばあちゃん。スーパーでお菓子を買ってくれたり、喫茶店で長靴コップのクリームソーダを食べさせてくれたり、デパートの屋上遊園地にもたくさん連れて行ってくれた。足の甲に大きなタコがあって、お風呂の時はそれを押して遊んでた。

初めて1人で電車に乗ったのもおばあちゃんちに行く時で、泣きそうになりながらおばあちゃんちの最寄り駅に着いた私を心配そうに出迎えてくれた。うちに来る時は私の好きなお菓子をお土産に買ってきてくれた。おばあちゃんと飛行機公園にも行った、お祭りにも行った、味噌おにぎりが美味しかった。
亡くなって13年経った今でもおばあちゃんのいろんな顔を思い出せる。おばあちゃんはきっと私のことが大好きで、私もおばあちゃんのことがずっと大好きだ。私は兄弟とか従兄弟の中でも1番歳上で1番可愛がってもらった。

そんなおばあちゃんが死んだ。
小学6年生の私は身近な人の死を初めて体験した。大好きな人がもう2度と会えない。話せない。しかも急に。なにも伝えられないまま、弱って死んでしまった。
本当に悲しくて、嫌で嫌で嫌で。死んだおばあちゃんの顔を初めて見て、火葬される直前のおばあちゃんの顔をまた見て、あんなに優しくしてくれたおばあちゃんはもういないんだって泣いていた。

正当な理由で運動会を休める事実につい口走ってしまったあの言葉

でも私はお葬式の日、自分でも、昔の自分の神経を疑うことをお母さんに言った。
今でもはっきり覚えているし、そのあと普段絶対泣かないお母さんが泣きながら怒った。
「なんでそんなことが言えるの」って怖い顔で言われた。私は酷いことを言った。

「運動会の日で丁度良かったかもしれない」
おばあちゃんの死に対して、心から悲しくて辛い気持ちがあったにも関わらず、正当な理由で運動会を休めるって事実に、小学生の私はお得感を感じていた。

なんだお得感って、大好きな人が死んだ時にそんな感情持ち得るのか?そんな感情を持つ奴に心はあるのか?
これを聞いたお母さんの気持ちを考えた、絶望する。死んだことに丁度良かったも何もない。
でも、とうの本人の私は本当にどちらの気持ちも持ち合わせてしまったのだ。素直すぎたと言ったら聞こえはいいが、大好きなおばあちゃんの死んだ日が大嫌いな運動会と被って休みになったから喜ぶなんて。
いや怖い。怖い。しかもこれを口に出して、おばあちゃんの娘であるお母さんに言ってしまった。

自分が母に言ってしまった言葉の残酷さに気付けたのは何年か後で…

私がこれと同じことを未来の子供に言われたら、手を出してしまうかもしれない。
それくらい酷い。
その場では怒られたのですぐ謝ったが、その場凌ぎで。私が自分の言った言葉の残酷さに気づけたのは何年か後で、ずっとこの事を思い出しては、自分のしたことの酷さに苦しんでいる。思ってしまったことは事実なので変えようがないが、せめてお母さんにだけは言うんじゃなかった。

この出来事は呪いのようだ。でもあの日には戻れない。
私はお母さんにもう一度ちゃんと謝らないといけないと思いながら、そのことに触れずに生きている。