私には秘密がある。秘密らしい秘密じゃないけれど、他人に言ったら絶対に「え??」となる秘密。
隠しているわけではないけれど、聞かれないから言わない。ただそれだけ。

そんなテキトー人間である私の隠しごとは、“古銭”とか“埴輪”が好き、ということだ。
ただの“古銭”が好きなのではない。ギザ十とか二千円札とか一つ昔のお札(夏目漱石、岩倉具視など)が好きなのだ。
“古銭”に入るか入らないかのギリギリのライン。もしかしたら古銭とは言わないかもしれないが……。

埴輪に関しても教科書でよく出てくるような人型の埴輪ではなく、東京国立博物館の埴輪コーナーにある動物の埴輪が好きだ。

なーんか、地味な隠しごとだなぁ……と自分でも思う。別に人に隠すほどのものでもないし……。でも言えないのだ。

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仮に「古銭が好き!」と言ったとしよう。
多くの人が寛永通宝とか和同開珎とか、いわゆるThe古銭!を連想するだろう。
私もたしかに好きだけれど、コレジャナイ感がある。要は謎のこだわりがあるのだ。
王道の古銭よりも誰も知らないマニアックなものの方が見てて楽しい。
でも寛永通宝とかも好きだ(これも重要)。ただ自分の中でしっくりこないだけ。

埴輪に関しても「埴輪が好き!」といったときに多くの人が人型の埴輪を連想するように思う。
のほほ〜んとした人型の埴輪ももちろん好きだ。埴輪の顔をよくよく見ると一つ一つ顔が違う。笑っているように見えたり、少し悲しんでいるように見えたり…。埴輪ならではの表情が楽しめる。
たが、私は人型の埴輪よりも動物の埴輪の方が好きだ。
理由はただ一つ。かわいいからだ。

「動物の埴輪がかわいい?えっ???」と思う人もいるかもしれない。むしろなんでそこまでして動物の埴輪なの?と疑問に思う人もいるだろう。
特に「これ!」といった理由はないけれど、ただ動物の埴輪が好きなのだ。ただイノシシの埴輪とかを見ていると「埴輪っていいよなぁ……」と思ってしまう。

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要するに私は「好き」という価値観が人と違うため、自分の「好き」を隠しているのだ。
もし仮にここで古銭ファンや埴輪ファンがいたとして、
「〇〇時代の古銭、いいですよね!」
「あの場所から出土した埴輪はなんとも言えないほど素晴らしくて……」
と言われても私は何も反応できない。
ただ「そうなんですね……」と言うことしかできないだろう。

古銭好きや埴輪好きの人と一緒に話したいなと思ったことはある。
でも私は少しズレた価値観の持ち主だ。だからこそ、ちょっとズレた価値観で話し合ってしまったら会話が噛み合わなくなる。そうするとお互いに居心地が悪くなったり、会話が続かなくなったりするだろう。
そんな雰囲気になるのは嫌なのだ。だから一人こっそり古銭や埴輪を愛でるしかない。

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でも最近、この考え方は間違っているのではないかと思うようになった。
私は自分の価値観や好きな部分を否定されたくないから、古銭や埴輪のことを隠しているのではないか?
だとしたらそれは私の一方的な思い違いではないか?
価値観や好きな部分が違うのは当たり前のことであって、それを共有し分かり合うこともできるのではないか?

今まで古銭仲間も埴輪仲間も作ったことがない私だが、自分の「好き」を話せる相手を探して自分が隠していた思いの丈を話してみたい。