私にとっての記念日は、2年前の私の誕生日だ。
私と親友は、誕生日が9日違いだ。私達は毎年お互いに「お誕生日おめでとう!今年も数日だけあなたがお姉さんの期間がやってきたね!すぐに追い付くからね」「メッセージありがとう!一足先にお姉さんになりました。◯歳の世界で待ってるよ」などとやり取りをしている。

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親友とはいえ、小学校しか一緒ではなかったため、なかなか会う機会がない。
ある年、親友が家庭の事情で、実家に2ヶ月程滞在することになった。その期間は、偶然にも私達の誕生月と被っていた。そこで私は、親友に「合同誕生日会」を提案した。親友はとても喜んで、了承してくれた。お互いの都合を聞き、私の誕生日と、誕生日前日の夜を一緒に過ごすことになった。

私の誕生日前日には、地元の神社でお祭りがある。今回、共通の友人を含む3人で、お祭りに足を運ぶことにした。
当日、仕事を終えてすぐに帰宅して着替えをして、神社前に集合した。「3人で会えるの、久しぶりだね」「懐かしいね」と会話をしながら参拝し、その後は友人宅にお邪魔してご飯をご馳走になった。
離れ離れになった、中学時代から現在までのお互いの人生について、積もる話をした。気付いたら24時に近づいていた。23時50分頃から、親友はソワソワし始めて、スマートフォンを頻繁にチェックしていた。後から聞いた話だが、話の主導権を握っていた彼女は、私の誕生日になる瞬間を逃すまいと、時間を気にしてくれていた。

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「あと1分!」とカウントダウンが突然始まり、24時ピッタリに2人から「おめでとう!」と温かな言葉と拍手が贈られた。友人は「私が話している間に、あなたの誕生日を迎えるなんて、申し訳ないもん。せっかく日付が変わる瞬間に立ち会えるんだもん。カウントダウンしたかったの」と、言ってくれた。私自身、内心は「あともうちょっとで誕生日だ。この話の最中に日付を跨ぐなあ」と多少考えていたため、彼女の気持ちを知り、嬉しくなった。
もう1人の友人も、寝ずに最後まで付き合ってくれた。幸せな空間にずっと居続けたかったが、昼頃から再び遊ぶ約束をしているのもあり、一旦解散した。

帰宅後も、ふわふわとした不思議な感覚だった。幸せな気持ちに包まれながら、お風呂を済ませた。目を閉じても興奮が冷めやらなくて、眠るのが惜しかった。幸せな時間がリセットされる気さえした。
だが、待ち合わせの時間に遅れないためにも、早めに就寝した。目覚めても、まるで夢の続きのような、誕生日会パート2が待っている。

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親友と11時に再会して、市内では珍しい、ケーキバイキングのあるレストランでランチをした。その後は、スーパーで買い物をして、親友が手配してくれたパーティールームで部屋を装飾し、プレゼント交換をした。部屋の装飾やプレゼントの事前購入は、お互いのセンスに任せていたが、功を奏した。夜は前日に続いて共通の友人を招き、手巻き寿司パーティーを開催した。
沢山の写真を撮り合い、互いを祝福し感謝する、忘れられない1日となった。22時が回り、次の日の仕事に備えて、後ろ髪を引かれる思いで泣く泣く解散した。

私の発案に乗った親友の配慮があり、タイミングが合ったからこそ、この誕生日会は成立した。小学生の頃、友人を集めて誕生日会を開く文化があったが、その良き思い出も鮮明に蘇った。約20年以上も、友情が続いている奇跡に感謝だ。
興奮と幸福感で満たされた、特別なあの2日間を、私は記念日と呼びたい。

辛い出来事があった時や、毎年誕生日が巡って来る度に、私にとっての記念日をふと思い出す。写真はスマートフォン内のアルバムに、一枚残らず残している。見返しては、その度に幸せな気持ちになる。
数年経っても色褪せない記憶、幸せな時間や空間。今度は私が親友に「幸せ」を提供し、再び共有したい。